SS Paris
パリ
1921年に北大西洋航路に就航したFrench Line の豪華客船パリ:SS Paris 3万5千トン。
1913年に建造が開始されましたが第一次世界大戦の影響で進水は1916年に。その後の艤装工事も遅れに遅れ、進水から5年後にやっと初航海へ。
当時としてはフランス最大の客船であり、大西洋横断定期航路ではその船内設備の豪華さでも話題になりました。2階両サイドにはバルコニー席、中央天井すべてがグラスドーム式の照明を使った明るい一等ダイニングルームやメインラウンジ等の写真が当時の豪華さを物語っています。
またプロムナードデッキ全周すべてにグラスシールド窓を設けるといったその後の豪華客船にも影響を与えた設備も備えていました。
造船所はフレンチライン御用達のGenerale Transatlantique。
同造船所はその後もフレンチラインのフラグシップとなる(前述の)ノルマンディー、フランス(後日展示)を世に送り出した老舗の造船所です。
しかしながら同船ほど事故に遭遇した船も珍しく、1927年10月の貨物船との衝突、1929年は同船にとって厄年だったのか同年4月には立て続けに2度の濃霧の中での座礁事故を起こし、その4か月後の8月には船内大火災を起こして内部をほぼ全焼してしまいます。
事故調査後にはスクラップを勧告されたもののフレンチラインは5か月という短期間で同船を修復し、定期航路に復帰させました。
その後は平穏な日々を送った同船も1939年4月19日、ハーブ港でニューヨーク万国博覧会に向けた国宝級フランス絵画等の美術品を積み込み中、またまた火災を起こし、懸命な消火作業の末に鎮火はしたものの港に着底・横転してしまい永らく放置されていました。
ドイツ客船展示室にて展示中のS.S. Europeがフレンチラインに移りLiverte:リベルテと改名されてハーブ港で改装中に嵐(台風)が接近。大しけの中近くで横転放置されていたこのパリに接触したことで船体が損傷し浸水・着底しています。その当時を物語る有名なハーブ港の写真には上部で半水没状態で横たわっているパリと着底鎮座しているリベルテが.........
このモデルについて
入手したモデルはMercator、1/1250スケール。
中古品ですが前の持ち主の方が相当大事にされていたようで市販のケースに入れ(本体裏にポリパテを詰めて)ビス止めして保管鑑賞されていたようです。
モールドの潰れもほとんどなく非常に良い出来のモデルです。
Mercatorなので取りあえず薄い肌色でデッキが塗られています。もう少し濃いタンで塗り分けてハウスの白とコントラストを変えたいところですがデッキ上の構造物や附機類がチマチマと並び、タンで塗り分けるのは断念しました。
逆に船体船楼部のホワイトが経年変化したのか少し黄ばんだクリーム色なのでこちらの方をスーパーホワイトで塗りなおしてみました。
船体の白と黒の塗り分けラインは少しばかりマスキング塗装時のズレが散見されます。
3本のファンネルはフレンチファンネル2色塗り分けは無論のこと基部まできちんと丁寧に仕上げられています。
手を加えたところは以下のような点のみです。
1)プロムナードデッキの窓や船側丸窓の墨入れ
2)船体後部の下部デッキを陰影を灰色の墨入れで実施
3)黒色船体の塗り分けラインの微小修正
4)最上部のスカイライトの天蓋部カバー類を追加塗装(今回銀で行ったがTitanicの例
からも本当はグレーかブラウン系の色かもしれない:証拠写真なし!)
5)ライフボート周りの引き綱モールド(さすがメルカトール、芸が細かい)を黒ペン
で追加塗装。
6)カウルヘッド通風管の防護ネット(赤)を再塗装。
この船、あのTITANICの面影があるように思えてならないのですが。
年代からして同時期ですしね。
オリジナル
改修後
改修後上部
SS.Ile de France
イル・ド・フランス
フレンチラインの前身CGT:Compagnie Générale Transatlantiqueが1927年6月に北大西洋横断定期航路に就航させた大型豪華客船イル・ド・フランス、4万3153総トン。
建造はサン・ナザールのベノエ造船所。
就航後にCGTのフラッグシップとなった同船はそのオーソドックスな船体デザインやに旧式の石炭炊きボイラー/直結蒸気タービン機関(4軸推進)を採用したことで就航当時は旧式な大型船と見られがちでした。
しかしながらその船内装飾には後の世紀の豪華客船と謳われるノルマンディーの模範となったアールデコを全面に採用し、また機関室の自動消火設備や電動式船内空調設備といった幾つもの新機軸を船内設備に導入していました。また船尾には客船として初のカタパルトを設置し、小型水上機による入港前郵便配送サービスを行っていました。
三本のファンネルのうち最後尾のものは主機関の排煙用ではなく、内部にはエンジン補器(補助ボイラー)の排気管や機関室用空調排気装置が格納されていましたので外観上は実際に煙を出してはいたのですがほぼダミーに近いものでした。
その後勃発した第二次世界大戦中の1940年には連合国の英国に、1945年には米国に接収され兵員輸送に従事。1947年にCGTへ返還された本船は客船サービスへの復帰に向け生まれ故郷の造船所にて破壊撤去された船内設備や調度類の改修工事を受け、その際に船体重量も4万4356総トンに増加しました。
また最後尾のダミー煙突は撤去され、残る2本のファンネルもスピード感を演出するように高さと断面形を変え、さらに小さなフィンまでつけた姿となり2年に渡る改修工事を終えた1949年、大西洋航路に再デビューします。
同船は就航当初から数々の海難事故や他船からの急病人の救援要請に駆けつけ「大西洋のセントバーナード」と呼ばれていたことは有名な話です。中でも特に有名な事件がイタリアラインの展示コーナーでも言及したアンドレアドリアとストックホルムの衝突事故でした。
保守的な外観に比し、モダンな船内デザインや接客サービスに惚れ込み、欧州-米国間の移動時にはこの船を常用する政治・経済・芸能各界の有名人も多く、その写真や逸話も多くの残されています。
最後は日本の大阪港でのスクラップが決まったのちに米国映画「最後の航海」の撮影場所(海の女王SS.クラリドン号)となります。
その内容は大西洋の真っ只中でタイタニック号の沈没を彷彿させる様なストーリー展開(ただし沈没原因は氷山との衝突ではなくボイラー室の火災・爆発)で豪華客船を舞台とするディザスターパニックムービーの奔りといったものでした。
解体時には船内調度品の一部が徳島の美術館に、残りの多くは今では廃墟マニアの聖地ともなっている志摩観光ホテル(当時休館中/1970年廃業)の改築営業再開時に移設利用されたとされています。
このモデルはダメージ品ながらメルカトールの三本ファンネル姿のもの。
捨値価格で即決出品されていたのを偶然見つけて落札したものです。もう手に入らないだろうなと買いそびれをずっと後悔してた一品でしたので本当にラッキーでした。
今ではほとんど手に入らないモデルの一つでしょう。
極まれに1949年改修後の2本煙突姿のモデルがネットオークションに出る時もありますが、全体的にモールドは甘いし、とにもかくにも「イル・ド・フランスは三本ファンネル姿じゃなくちゃだめ」派なもので......
ダメージは大きなものが2か所。
右舷カウンタースターン部がごっそり欠落し、加えて船首の下半分が欠けています。
多分高いところから硬い床面に落としたんでしょう。
メインマスト、ミズンマストに加え、幾つかのデリック部もポールやブームが欠損しています。
ファンネルやライフボード類は幸運なことに塗装の欠けがある程度。
うーん、なんとか修復できるか?といったところですが修復後に再度お披露目しようと思います。
ちょっと心が折れそうになった船尾のダメージ
何とかなりそうな船首の欠損部
修復完了。Ile De France
まずは船体の外科手術から(なんて...)
船首、船尾の欠損部は叩き出しでどうこうできる程度ではありませんでした。
レジンパテ盛り等の修正も考えましたがここは溶融半田を少しづつ盛っていきながら大まかな形を形成し、冷めてから電動ルーター、精密ヤスリで整形することに決めました。
二時間ほどの手術で外観は何とか復元。
金属下地プライマー、アクリル塗料で再塗装後、こんなもんかな?という程度まで戻せました。
次いで根元から折れているマスト部については0.8㎜の真鍮ロッドをメインとミズンマストのベースに、0.4㎜のロッドをデリックブームに利用しています。
次いで0.6㎜の真鍮ロッドをクレーンのポール部に使い、ポールの上部先端に高粘度のゼリー状瞬間接着剤を少量載せています。
白黒写真を参考にマストはこげ茶、クレーンのポールはホワイトに塗装しました。
次いで各部の塗装の欠け、剥がれを修復し、右舷の船体塗分けラインのカーブを修正(左舷は非の打ちどころのないカーブなのに.....)しました。
最後にファンネルの前面上部のホイッスルを金色にして。
よし、これで念願の三本ファンネル姿のイル・ド・フランス完成とします。
半田盛修正後の船首
同じく船尾
補修モデルを船首より
補修モデルを船尾より
MV Bianca C
ビアンカ C
この船の前身はフレンチラインのラ・マルセイエーズ LA MARSEILAISEです。
モデルは最後に活躍したコスタラインのビアンカCの姿。本来ならばイタリアの客船にて展示すべきですがフレンチラインに敬意を表して、造船国そして一番在籍期間が長かったフランスの船としてご紹介します。
1万8500t弱の船ですが建造当時(1939-1944)のフランスで建造された船としては最大級の船でした。
後にフレンチラインに統合されるMessagiries Maritimes(MM)社がマルセイユ・サイゴン間の定期航路客船として建造を開始した船でしたが大戦の影響で建造は遅々として進みませんでした。船名はMM社の初代所有船の名前を引き継いでいます。
時の仏ビシー政権は名前をMarechal Petainと改名して本船の完成を急ぐ決定をしますが就航はさらに遅れ、結局LA MARSEILAISE:マルセイエーズの名前に戻され完成も1946年にずれ込みました。
マルセイユを起点としソマリア~シンガポール~香港・上海を経て神戸・横浜まで153日間の航路サービスを実施し、日本にもその姿を見せましたがこのルートサービスはフランスの南西アジア植民地政策等の変更によりたった一度きりで中止されてしまいます。
1957年に船はスイスのArosa Lineに売却されAlosa Skyと改名し、2年後の1959年にコスタラインに転売されて写真のBianca Cとしてカリブ海クルーズに投入されました。
1961年10月22日早朝、クルーズ中の同船はグレナダ沖で投錨中に機関室で爆発が起きクルー数人が犠牲となりましたが乗船中の船客と船長以下残りのクルーは早期に船から退船して船を放棄。火災延焼の末に沈没してしまいました。
このモデルについて
MERCURY社の1/1250スケールのメタルモデルです。
玩具的なモデルで船窓等の細かいモールドはほとんどありません。ただ全体的なイメージは良く、クレーンやマストはしっかりとした出来です。
この船の特徴である左右2つづつ、計4つのアンカーのモールドが左右1つというの大きな減点。
今回はデッキの追加塗装と船窓等をMAXSONのスクリーントーンの切り貼りで再現し、アンカーは手書きで追加しました。ジャンクパーツが見つかったら置き換える予定です。
オリジナル
改修後の後姿
船首部
船体中央部
船尾部
SS Normandy
ノルマンディー
CUNARDのQueen Maryとブルーリボン争奪戦を演じたフレンチラインの豪華客船Normandy。
Queen Maryが極めてオーソドックスでクラシカルなデザインでデビューしたのに対して、一歩先に大西洋横断航路にデビューした本船のモダンでエレガントな船体デザインは当時としては鮮烈だったでしょう(館長一番のお気に入りの船でもあります)。3本のファンネルのうち最後部の一本はあのTITANICと同様にデザイン上のダミーです。
本船の内装はQMの格式ある豪華さに対抗してか当時一世を風靡したアールデコで飾り立てたものでした。QMの一等ラウンジが燕尾服とローブデコルテ(イブニングドレス)の正装がお似合いなら、Normandyのラウンジは男女共にとりわけ女性はモダンで体を締め付けないファッショナブルな服装がいかにも似合うようなもの。いかにもフランスの香り漂う華やかな内装です。
総t数は8万3423トン(79280tと記載された洋書もありますがこれは建造当初の数字です)。
遅れてデビューしたQMに一度は世界最大・最速の豪華客船という称号を奪われますが、船体長ではもともとQMを3m上まわっていた本船はその後、後部デッキの改装によって世界最大の称号を取り戻し、世界最速の称号をかけてQMとの熾烈な大西洋横断競争を繰り広げましたが、第二次世界大戦の本格化によって巨船群は戦火を避けNY港に退避・係船状態となります。
さらに本国フランスがドイツに降伏し、その後に米国が参戦したことで本船はそのまま米国に接収され軍事徴用輸送船ラファイエットに改装されることに。その改装中に大火災を起こし、狭い埠頭で横転・着底してしまいます。苦難な作業の末なんとかサルベージには成功したものの火災による船内損傷が激しく、結局スクラップになってしまいました(残念)。
この火災事故による同船喪失の賠償として米国が接収していたドイツ北ロイドの高速豪華客船オイローパを受け取り急遽再改修したものがリベルテです。
写真のモデルについて
CMKR社 1/1250スケールのダイキャストモデル。
出来が良いので船窓等の墨入れとクリアープラ板にインレタで船名を転写したプレートを追加してみました。
暇ができたらデッキの塗装にチャレンジしてみましょう。
後部デッキ
デッキ俯瞰
船体中央部
船体名の付加
改修完了.....
やっと全デッキを塗装してやれました。
寸足らずだった船首マストも継ぎ足して長さを修正。
Normandie
こちらはMercatorの1/1250モデル。
ボートデッキ後部にまだツーリスト用のラウンジが増設されていない初期の状態のものです。
デッキは薄いタンで塗り分け済み、プロムナードデッキ等の窓も蝕刻が深いので船首の艦橋とラウンジの窓のみ墨入れしてあります。
ボートデッキの造りは質感も十分ですが唯一の欠点といえば船首楼ラウンジ窓が単純な長方形のモールドになっているところでしょうか。
船首から
船尾から
ボートデッキ
後部
上部から
SS FRANCE
フランス
フレンチライン最後のフラッグシップである豪華客船S.S. FRANCEです。
1962年にドゴール大統領による国威発揚の鶴の一声で建造され、大西洋横断航路にデビュ-した本船も館長お気に入りの船の一つです。
このメタルシップコレクション修復プログラム(安く手に入れて修復しよう)シリ-ズで取上げてきたモデルの実船説明は今後掲載予定であるプラモデルコレクションとも重複することをご了承のほどを。
先代のフラッグシップ:NORMANDIEには実は姉妹船の建造計画があったことはあまり知られていませんが、その計画が頓挫した後に戦後の海運会における覇権と国の威信を賭けてフランス政府が民間のフレンチラインに巨額の資金援助をする形で世に出した当時最大の船体長を誇る豪華客船こそこの船でした。
ブル-リボンの奪取はできませんでしたが船体や船内設備のデザインにはモダニズムと機能重視のインダストリアルデザインを多用し、これまたフランスならではの船と言えるでしょう。
このフランスは大西洋が荒れて利用客が減少する冬季にはクルーズサービスに供されていたことから「計画当初からクルーズ船運用を考慮していたのか?」が一部の海事歴史家の中で論議されているようです。
ジェット旅客時代の幕開けによって本業の定期航路サービスに暗雲がかかり、本船も本格的なクルーズサービスを開始したのが就航開始から10年後ですし、あれだけ長大な船体で現在の様なクルーズビジネスを考慮していたとは到底思えないのですが......。
デザイナー、デッキプランナーにそれなりの先見の明があったというところではないでしょうか。しかしながらクルーズ専用船として第2の人生を歩むことになった船ですからこの手の論議は確かに面白いところです。
このモデルについて
さて、手に入れたのは英国TRIANG社製で基本はおもちゃですが出来はそこそこのもの。
スケールは1/1250よりも少し大きめの様です。
何を隠そうこのメタルシップモデル修復計画シリーズを立ち上げるきっかけとなった最初の一隻でした。
手に入れた時点での塗装ダメージは少なめだったのですがマスト類は軟質塩ビ製?の後部のデリックブームが歪んで残っていただけですべて欠損。特徴あるあのファンネルのフィンもすべてなくなっているという有様でした。
価格は微妙なところだでしたがまあ修復ベースとしては貴重性も考えて良しとしました。
まずは中性洗剤で埃やヤニ汚れを丁寧に洗浄。ひとところ綺麗にしたところで
1)塗装の修復
2)ファンネルフィンの追加(1/144の空対地ミサイルのフィンを活用)
3)船窓墨入れ(ブリッジのインレタ処理含む)
4)デッキ、ライフボート等の塗装追加
5)レーダマスト追加(さんふらわー11のジャンクパーツ流用)
6)デッキクレーンの追加(真鍮線、氷川丸のデリックブーム流用)
7)後部室内プールの新設
8)船名プレート新設(透明プラ板にインレタで文字を構成し転写)
初期の修復例なので出来はまあ遠目でみればなんとかSS FRANCEに見える程度です。
このフランスがノルウェージャンクルーズ(NCL)に売船・移籍し生まれ変わった
「SS NORWAY」についてはNCLの項目で取り上げます。
このフランスはとにかく数奇な運命というか話題に事欠かない船でしたのでお楽しみに。
後姿
上部から
後部
FRANCE CMKR製の改修完了
CMKR社のSS France。
出来はTRIANG製よりも数段上の1/1250スケールモデル。
購入時にいろいろと改修したもののデッキ塗装を残して永らく係船中でした。
やっとデッキ塗装が完了しました。
先の改修箇所は
1)船窓の墨入れ
2)ファンネル基部のグリル墨入れ
3)後部デッキのプール上部のグラスドームをシルバーブルーで塗装。
4)船体シアーのブラック/ホワイトの塗り分けラインを修正。
5)喫水線上のホワイトラインをアートテープで再現といったところです。
今回後部リドデッキはデッキタン、その他はニュートラルグレーで塗装。
各デッキ端はシンナーを湿した綿棒を軽く押し当て一気に引っ張ってホワイトの下地ラインを作り、実船同様にデッキを際立たせる効果を狙いました。
やっぱりフランスはこの姿だな。
後ろ姿
船首デッキ・ブリッジ
デッキ塗装状況を俯瞰
SS Pasteur
パスツール
Compagnie de Navigation Sud- Atlantique向けに建造されたSS Pastour: 29,253tです。会社が1914年フレンチラインに吸収統合されたためFrench Lineの船とされている資料もありますがファンネルカラーはSud-Atlantique のものです。
この船の生い立ちは別の展示室「ドイツの客船」にて展示中のブレーメン(このパスツールの後身です)にて解説しています。
このモデルについて
CMKR社製の1/1250スケールのダイキャストモデルです。
珍しくデッキの一部が丁寧に塗装済みです。
ただ船体黒色の塗り分けライン(シアー)が大きく湾曲していましたのでまずこれをほぼ水平に近い曲線に修正塗装しました。
次いで船窓の墨入れを全面的に実施。この船の白色塗料はなんとかラッカーシンナーに短時間保つようです。
あとはボートデッキ等の未塗装デッキの仕上げとデッキの附機類(ウインチやボラード、アンカーチェーン等)を適当に塗装し、最後にファンネル前部のホイッスルを追加してみました。
改修後
オリジナル
改修後
シアー塗分ラインの修正