イタリアの客船


ITALIAN Line(NGI・LS・CSTN)

SS Conte Grande 

コンテ・グランデ

イタリアラインとして統合される前のLloyd Sabaudo Line(LS)が1927年6月に大西洋横断航路に就航させた豪華客船コンテ グランデ 2万5661総トンです。

姉妹船はConte Biancamano。

蒸気タービン駆動の2軸推進で19ノットの速力を有していました。処女航海は1928年4月13日にニューヨーク港に向け出港。

その後はイタリアンラインに移籍し、南アメリカ航路に配船されました。

モデルの写真はイタリアラインの船体色が純白に統一する前の姿となります。

この船の内装の豪華さは当時の白黒写真でしか見られませんが、重厚な豪華さと言うよりもアラビア風、インド風に日本風といった東洋趣味を異様なまでに華美にしたもので、多分に金満趣味的にも見えます。特に一等食堂の装飾などはサーブされた食事がおいしそうに見えるのか疑いたくなるようなケバさ.........(こういうところで食事したくはないな:この船のファンの方、ごめんなさい。貧乏人のひがみです)。

第二次世界大戦中の1940年、係船されていたブラジルのサントス港で当国政府に接収され、その後米国に移されて船員輸送船USS Monticelloに改修され兵員輸送に従事。その功績に対して勲章が授与されています。

終戦後、1947年にイタリアンラインに返還されて名前も元のConte Grandeに。

1960年まで南アメリカ航路サービスやクルーズサービスを続けていましたが1961年にスクラップになっています。

 

このモデルについて

Mercatolの1/1250スケールダイキャストモデルです

マスト類はプラ製で別パーツ化されていました。

同梱されている同船の諸元等が記載された一枚ペラの説明書にスケールが1/2000となっていますが実測したところきちんと1/1250スケールで、このサイズ記載どうも画かれている船体の縮尺のようです(ドイツ人らしい.........)。

メルカトールとしては珍しくデッキフロアーの塗装は無し。

また船体の白黒の塗り分けラインのシアーが誇張され、カーブがキツいのでまずこれを修正。

真っ白なデッキはデッキタン等の一般的な塗装色にしてみました。

次いでブリッジ部のブラウン系色での塗り分けと左右両翼ウイング楼をプラ板で追加しました。

最後にマスト類を接着固定し、船窓に墨入れして完成としました。

 

改修後船首より

オリジナルモデル

 

 

改修後船尾から

強めのデッキシアー

ブリッジ部等の修正


SS REX

レックス

当時のブルーリボンホルダーであった北ドイツ・ロイド社のブレーメンとオイローパ姉妹からその栄冠をイタリアへ奪取すべく建造された5万t級の豪華客船レックス。

1933年8月に西回り航路でイタリア初のブルーリボンホルダーとなったイタリアラインのフラッグシップでした。

姉妹船としてCONTE DI SAVOIA:コンテ・デ・サボイアが同時に建造されましたが造船所が異なるためかこちらの船体は一回り小さく、デザインも微妙に異なっています(キュナードの姉妹船ルシタニアとモーリタニアの関係と同じですね)。

もともとイタリアラインはNavigazione Generale Italiana :ナビゲティオーネ・ジェネラーレ・イタリアーノ社(NGI)、Lloyd Sabaudo:ロイド・サバウド社、Cosulich STN lines:コスリッチラインの三社が国策により合弁して出来たナショナルフラッグラインで、このレックスはNGIが当初はGuglielmo Marconiとして地元ジェノアのアンサルド社で建造中だった船でした。

同じくコンテ・デ・サボイアはLloydが地元トリエステのアドリアティコ造船所で建造中で両船共にイタリアラインの船として竣工と相成りました。

ブルーリボンは約1年半でフレンチラインの新造船Normadieに奪われてしまいますが第2次大戦中も軍による戦時徴用はされずに地中海域で客船として運用され続けました。

 しかしさすがに戦局の悪化から1940年にイタリアのトリエステ港に係留保管されていた1944年、同船が港の自沈封鎖に使用されるのを恐れた連合国側のイギリス空軍により港内で撃沈されてしまいました。

 

このモデルについて

入手したモデルはCMKR社製の1/1250スケールの完品(のはず)であったのですが、セカイモンのロサンゼルスの入庫検品でマスト類の損傷有りとの連絡があり、日本到着が遅れました。

悪いことは重なるものでなんと税関検査後の荷の取り違えが原因の誤配トラブルまで発生し、落札から手元到着まで一箇月以上の月日が...

さらに商品の特性を知らない方をあちこち経由したためか痛みがさらに激しくなっていました。船首は写真以上に大きくつぶれ、マスト類の変形もさらにひどい状態に。まあ届いただけでもめっけ物か...と気を取り直し修繕作業に。

1)全面的修復作業

   船首潰れの叩き出しと整形:計修理用の精密ハンマーで慎重に叩き出して整形。

   マストの修正:軽い曲がりはピンセットでの伸ばし修正、酷いものは根元から切

   取ってハンマーで叩き出し整形後に船体にピンバイスで浅い穴を開けて瞬間接着剤

   で取り付け後再塗装。

   クレーン修正:クレーンデッキのポールはメインマストと同色に塗り直し欠落した

      ブーム類0.2mm/0.4mmの真鍮線で作り直。

2)塗装剥がれの再塗装。

3)船窓への墨入れ。

4)船首にインレタ(MAXSON 506C黒)にてREXの船名を転写。

何とかここまで戻せました。

 

ダメージ状況

補修後

 

 

補修後

補修後


REX (2)

今回はMercator社版のレックスです。

スケールは同じく1/1250。

同社のモデルに共通してデッキはきちんと淡いタンで塗装されています。

しかし同社はこのモデルに3つの大きなミスを犯しています。

一つ目はフォアマストのデリックブームは装備していないこと。

二つ目は致命的で操舵室以下の正面造形が3デッキ分面一になっています。REXはCMKR社の様に船首楼正面は3段のステージ状になっており、操舵室とその下の2デッキ分が面一です。

要はステージ状船首楼の張り出しが一段少ないのです。

この形態が設計または建造当初の案で最終的に張出し状のハウスが一段増設されたとも考えられますがその事実は確認できていません。

三つ目はファンネル前のベンチレータ。Mercatolの方は小さめの通気口が左右に設置されていますが実船はTITANICと同じく大型のグリルがファンネルの前に横たわっています。

Mercator社にしては珍しいミスですね。

SS Giullo Cesare

ジュリオ・セザール

イタリアラインが第二次世界大戦後の本格的な豪華客船として1951年に建造したGiulio Cesare 2万7000tです。

イタリアラインは代々自船に自国の古今の有名人(美術、科学技術や政治家等)の名前をつける習わしがありました。

この船の名前はジュリアス・シーザー(Julius Caesar)です。

姉妹船にはAugustus(ローマの初代皇帝)がありました。

2隻とも南アメリカ航路に投入されましたが一時期北大西洋定期横断航路船としてNY港にも入港しています。

世界大戦直後の客船としてはモダンで美しいデザインの船体に南アメリカ航路就航のための船内を完全エアーコンディショナー完備とし、当時として当然ながら3クラス制をしいていました。1等(ファーストクラス)、特2等(キャビンクラス)、2等(ツーリストクラス)全てに個室バス完備の客室と各クラス専用プールが配置されていました。さすがに2等(ツーリストクラス)には他の2クラスに比べて差を設けていましたがそれでも同時代の他船同クラスに比べれば質の高い部屋とサービスが割り当てられていたようです。注1

1970年代初頭イタリアラインは長期の赤字による経営不振から自船の整理に着手し多くの名船が転売され、スクラップになっていきましたが、この船も1973年1月にナポリで売船スクラップとなっています。

 

このモデルについて

Mercatorの1/1250スケールのダイキャストモデルです。

同社の初期/最盛期の製品のようで、船の解説書も添付されていました。

またご覧のように塗装が完璧になされています。前後の船楼2箇所に微かなデッキ塗装の被りがあるくらい。本来なら修正も不必要な程度のものです。ここまで手を加える必要のないモデルも珍しく、感心しました。

後はブリッジ周りの窓に墨入れをする予定です。

 

注1:3クラス制の記述について(2015.09.09)

    キャビンクラスを三等としておりましたが

  「キャビンクラスは特2等扱いで2等よりも上のランクではないか?」

    とのご指摘をいただきました。

         再度調べましたところ、ご指摘の通りであることが判りましたので該当箇所

  (紫)の部分の記述を変更させていただきました。

    ありがとうございました。

 

2015.09.17 追記

ブリッジ周りの船窓の墨入れ、船首デッキの附器類を追加塗装、デッキ塗装の被りを修正しました。

     

改修後

 

 

改修後

 


Andrea Doria 

アンドレア・ドリア

イタリアラインが戦後の1953年に大西洋定期航路での栄光を取り戻すべく建造した豪華客船 アンドレア・ドリアです。

船容2万9000tと戦前のREX等の豪華客船に比べると小ぶりですがこの船からイタリアラインはモダンな美しい客船を次々と世に送り出します。

姉妹船としてはCristoforo Colombo:クリストファーロ・コロンボが建造されています。

1956年7月25日夜半、ニューヨーク港のイタリアライン用84埠頭を目指していたアンドレアドリアは同97埠頭から出港したスウェディッシュ・アメリカラインの貨客船Stockholm:ストックホルムと濃霧の東海岸沖で衝突事故を起こします。

ストックホルムがアンドレアドリアの右舷船腹に正面衝突する形となり、アンドレアドリアの船体は大きく損傷を受けて船内に進水。一方のストックホルムは船首を大きく潰しながらも北海航行用に設計された強固な構造が幸いして何とか進水は免れました。

アンドレアドリアは船体が傾きながらも船員の懸命な排水作業によって11時間持ちこたえ、全員退去後(衝突時に数名の犠牲者が出ましたが)ついに沈没。この間に大々的な救助活動が繰り広げられました。中でもフレンチラインのフラッグシップも務めたイル・ド・フランスが駆けつけ救助に大活躍した話は有名です。

後日大西洋で沈没したTITANICの姿を初めて映像に収めることに成功したバラード博士らのチームにより横倒しとなって海底に横たわるアンドレアドリアの姿も潜水艇調査により明らかになっています。

 

このモデルについて

CMKR社の1/1250スケールダイキャストモデル。

このモデルは非常に良い出来です。クレーンはブームとともに可動(とはいえデリケートなので微量の接着剤で仮止めしてあります)デッキも塗装済み、船窓等の彫も深く墨入れせずにそのままにしてあります。

船体の細い白ラインは極細の凸ライン上の塗装仕上げですが途切れ、カスレが多いので慎重に細筆でなぞり直しました。最後に喫水近くの白線は雑なので1㎜のアートラインテープを張り付けて再現しました。

 

2015.08.02 追記

Andrea Doria の改修

ラッカー系塗料/溶剤による窓の墨入れを海外メーカーの既存モデルで可能かどうか先に紹介済みのAndrea Doriaで確認してみました。

結論からするとやはり少し厳しいことが判明。

既存の塗膜がラッカー系シンナーにも弱く、墨入れ塗料の拭き取りを短時間一拭き程度で処理しないと下地塗料が溶け出してしまうので結局拭き取り後に再度下地の重ね塗りが必要になります。

特にCMKR等の既存ダイキャストモデルの船体白地塗膜は粗めな表面仕上がりののつや消し塗料(艶消し剤の粒子が粗い?)で処理されていることが多いので墨入れ塗料のはみ出し部の拭き取り処理が一回では薄汚れの様に残るのでこれをシンナーで取ろうとすると下地がダメージを受けやすくなり悩ましいところ。

 

今回この実験とともに以下の改修も実施しました。

1)ファンネル前後のデッキと船倉ハッチをグレーで塗装

2)ファンネル前部上に開口されているグリルを表現する

3)ファンネルのグリーンラインの引き直しを実施

4)すでに塗装済みのデッキ塗装のムラや船楼部への被りを修正

5)ライフボート上部覆いの塗装色を変更

 

 

改修前

改修前後部から

改修前船首部


改修後

改修後後部から

 

 

改修後船首部


SS Leonardo da Vinci 

レオナルド・ダ・ビンチ

沈没喪失したアンドレアドリアの代船として建造された3万3300tの豪華客船レオナルドダビンチです。この船も御覧のように均整の取れた美しい船でした。

アンドレアドリア同様に黒白のシックなツートンカラーの姿で1960年6月に大西洋横断航路にデビューしました。

その名前に恥じず新機軸満載だった本船は特に先代のアンドレアドリアの衝突事故の教訓からか船内の防水区画には特に気を配り、エンジンルームまでを左右独立区画にして左右軸の駆動システムを独立化しています。

船体が大きく傾いても(25度まで)救命ボートとして使用できる打ち上げ型可能な新ボート機構の搭載もドリアの事故の教訓からでしょう。

突出すべきは将来ボイラーを原子力発電システムに入替えて原子力駆動にする下地を新造時から盛り込んでいたことです。結局原子炉搭載改修自体は未完となりましたがこれが実現していれば純然たる原子力客船として当館世界の原子力船の展示コーナーに入っていたことでしょう。

 

この後に取り挙げる豪華客船ミケランジェロとラファエロ姉妹の登場でこのダビンチにはクルーズサービスが増えていきます。主に地中海クルーズを受け持ち、クルーズ時には2等船室は閉鎖して運航されました。

1966年にイタリアンラインが純白の船体にグリーンのラインを引いた新塗装を採用したことでこの船も写真の様な純白な姿に変わります。

しかし大西洋横断定期航路の衰退に伴いイタリアラインは1975年にミケランジェロとラファエロの運航を停止し、続いてこのダビンチの係船も決定します。

その後クルーズ船、カジノ船や浮かぶホテルへの転身話も持ち上がりましたが改修コストの高さがネックとなってすべて立ち消えになり係船状態が続きますが1980年に船内からの不審火による火災が発生して全焼横転。サルベージ後にスクラップとなってしまいました。

 

このモデルについて

Mercator社の1/1250スケールダイキャストモデル。

このモデルはまだ一切改修に着手していません。購入当時のオリジナルのままです。

 

後部から

 

 

船首部

中央部

船尾部


SS Guglielmo Marconi

グリエルモ・マルコーニ

イタリアラインのグリエルモ・マルコーニ 2万7900tです。

1961年9月にLloyd Triestino:ロイド・トリエティーノ社の豪州航路船用客船として建造就航しました。姉妹船には SS Galileo Galilei:ガリレオガリレイが(1963)建造されています。

1976年にイタリアラインに移籍。写真はこのイタリアラインで豪華客船として定期航路に就航していた当時の姿になります。

イタリアラインのクルーズ部門でクルーズ専用船とし2年間のサービスを行いますがクルーズビジネスとしては失敗に終わりました。

本船はコスタラインに売却され、本格的なクルーズ船へと大改造を実施され、さらに未来的なデザインの船に生まれ変わりました。

コスタ・リビエラと言えばピンと来る方も多いでしょう。

 

このモデルについて

CMKR社の1/1250スケールダイキャストモデルです。

ご覧の通り船首の造形はほぼ完璧でCMKR社のモデルとしては珍しくデッキ塗装も施されています。クレーンもアンドレアドリアと同じように精細な造りで好感が持てます。

ただ船体両舷中央に引かれたイタリアラインのグリーンラインを模した凸ラインが少し歪な造形で引かれていますがこれは修正しませんでした。

 1)ボートデッキが無塗装でその他デッキも肌色に近いタン一色なので、通常のタン

   でボートデッキや一部トップデッキの再塗装してメリハリを付けています。

 2)船窓の墨入れ。船首正面のみ水性ゲルインキペン(0.03mm)で行い、両舷の

   船窓類は0.05mmのシャープペンシルで入れてあります。

 3)届いた品の左舷下部の塗装が大きく剥がれていましたのでこれを追加塗装で修復

   しました。

 4)3)の影響もあり、喫水線下のグリーン部は上部をマスキングしてアクリル塗料

   で1mm幅で再塗装してあります。

 5)船首のアンカー巻き上げ機やボラード類は灰色で塗装されていましたが黒塗装で

   アクセントを付けてあります。

 6)船首両舷のアンカーを黒、その上の3本ラインは本来グリーン線として引かれて

   いましたが忘れたように無塗装なのでこれも追加で塗装しました。

 

オリジナル

 

塗装剥がれ

 

 

修正後の後姿

船尾リドデッキ

 


T/N Michelangelo 

ミケランジェロ

イタリアラインが世に送り出した最後の豪華客船のひとつで、同社のフラッグシップの役を担ったSS Michelangelo:ミケランジェロ(4万5900総t)です。

ルネサンス期のイタリア美術界巨匠の名を冠した船名シリーズとして、先輩のLeonald da Vinci:レオナルド・ダ・ビンチに続き定期航路船として姉妹船のRaffaello:ラファエロとともに建造されました。埠頭にこの姉妹船が並んで停泊している写真をよくみかけたものです。

特徴は日本の鼓を模したようなトラス構造で囲まれた2本のファンネル。

トップにF1レースマシンのリアウイングの様な後縁が跳ね上がったフィンをもつこのファンネルデザインが採用されたのはF1マシン同様に航海時の空気抵抗と排煙効果(後部のリドデッキで日光浴を楽しむ乗船客に無用な風や煙が当たらないようにとの配慮)のためとされています。

スリムな長い白亜の船体にこの特異な二本のファンネルをやや後部に配したデザインは少しトリッキーですがイタリアラインの中でも好きな船でした。

就航当時、すでに外洋定期航路の旅客数は激減していましたが巨匠名を冠した三隻はモダンで豪華な内装で評価も高く、ファンも多かったためにサービスを継続していましたが、航海を続ける度にイタリアラインの赤字を累積し続け、同社の存続にとどめをさしてしまう形になってしまいます。

イタリア政府は1975年をもってイタリアラインのサービス停止を決定。姉妹は第二の船主をさがす羽目に。

あのノルウェージャンクルーズに名船達がイタリアから移籍するのを阻止しようとイタリアHome Lineも名乗りをあげましたが再生コストが見合わないとしてすべてご破算になっています。

結局1977年、当時のイランのパーレビ国王に買い取られ2隻とも軍人の宿泊施設として係船されることとなりましたが、翌年には政変により王政が廃止。

その後のイラン・イラク戦争の勃発で両船は軍事施設とみなされ敵国イラクの重要な攻撃標的となり、妹のラファエロはイラク空軍の爆撃で運河の藻屑となってしまいました。生き残ったミケランジェロも1991年にパキスタンに売却されスクラップになっています。

 

 このモデルについて

モデルはMercatol社の極めて出来のいい1/1250スケールダイキャストモデル。

このままでも十分鑑賞に耐えるものですが、やはり船窓の墨入れや細かい塗装の追加を加えてあります。

1)まず船体やファンネルフィンの細かい塗装ハゲを修正。

2)次いで船体に引かれたイタリアライン独特のグリーンの細いラインの修正。

   線幅が不均一でかすれも散見されましたのでまずこれを引き直しました。

3)船首の附器類を塗り分け。

4)ブリッジや船窓の墨入れ。

 

オリジナル後姿 

船首部

 

 

ファンネル部

オリジナルの船尾部


塗装色変更後のMichelangelo

Raffaelloと並んだ写真ではデッキ色を部分的にこの2隻の間で入れ替えて遊んでいる様にも見えます。

写真で確認できる色相といっても地中海の強い日差しの下で撮られたものでは正確には判断できませんが同じ時間、場所で並んで撮られているので色の傾向や濃淡等は判断材料にできるだろうと少ない写真と睨み合いを続け、まあこんなパターンだったんだろうと塗装に着手しました。

まずオリジナルのMichelangeloの後部デッキ色はRaffaelloのものとしてもっと薄いウッドタンに変更。

ブリッジ上部前半分の区画をRaffaelloの後部及び船首と同じ濃いブラウンに設定(ちなみにRaffaelloのこの部分はライトグレーへ)

またファンネル前のサンデッキプールの三角屋根の構造物(デッキ―バー?)は白に変更。

ファンネル基部のデッキはサンデッキと同色に(Raffaelloでは濃いブラウン)といったようにパズルのように両船で替えていきました。

 

船尾よりの俯瞰

 

 

Michelangelo サンデッキ廻り


T/N Raffaello 

ラファエロ

ミケランジェロの姉妹船であるラファエロは姉よりも多くの事故に遭遇しました。

1965年10月の機関室の大火災、1966年4月には大西洋上で大波の襲来を受け船首と前部キャビンの一部を大破。

この時に乗客のカップル一組が船員の退去命令に同意せず船室に居残り、その後に船をおそった大波の打撃で破壊した船室から行方不明になっています。

1970年3月にはタンカーと衝突。そして最後はイランの空爆による破壊へ....。

 

このモデルについて

CMKRの1/1250スケールモデル。

こちらはファンネルトップと喫水下の塗装以外デッキも未塗装で、船体のグリーンラインの凸モールドが施されているだけです。

 

後姿

 

 

ファンネル部

船尾部

 

姉妹船並んで


T/N Raffaelloの塗装完了

側面外観からはちょっと見分けるのが難しいMicherangeloとRaffaelloの姉妹船2隻ですが決め手となるのは一番ファンネル前の屋上プール周りの造形の差でしょう。

俯瞰写真なら3か所すべてのプールの形状やデッキ塗装のパターンで特定できます。

とは言えWebに散在する写真には2隻を取り違えているものも多く、当館でもとりわけ少ないこの姉妹船のカラー俯瞰写真を見つけるも、デッキ塗色の差を理解するのに苦労しました。

一番役に立ったのは母港ジェノバの客船埠頭を挟み2隻が停泊している有名なシーンのバリエーション写真でした。2隻の中央プールの違いを判別しながら正確な色合いはさておき2隻の各デッキの塗分けパターンを何とか把握しました。

保育社から出ていた文庫サイズの小さな写真集「世界の客船(カラ-ブックス)」の初版にはこの2隻が埠頭に並んで停泊している後姿のクローズアップカラー写真が掲載されていた記憶があるのですが、さすがにこの本は行方不明。当館館長に客船の美しさを教えてくれた最初の本でしたが。

後日購入した1983年改訂版にはすでにイタリアラインの美船群はこの2隻を含め全滅の様相。Eugenio CやOceanicがちょろと出てくる位で役に立ちませんでした(くそ)。

資料準備の苦労話はさておき、MercatorのMicherangeloも塗装済みとは言えその考証は結構雑の様で、それもそのはず金属船体裏側の船名刻印を確認すると姉妹船2隻分が併記されていました(笑)。

 

Michelangeloの改修は次回同船の項に付け加えます。

 

Raffaello 後ろ姿

 

 

Raffaello サンデッキプール


Michelangelo and Raffaello

Raffaello (CMKR) & Michelangelo (Mercator)

 

 



Italian Home Line

 OCEANIC 

オセアニック/オーシャニック

イタリアのHome Line:ホームラインが1965年に同社初の新造船として就航させたSS Oceanic  3万9241総t。

ギリシャやイタリアの数々の豪華客船を設計したデザイナーの手による美しい船体のこの船は当時としては斬新なアイデアが盛り込まれていました。

船体中央に設けられたスライド式のリトラクタブルグラスドーム(Magrodome) で覆われた全天候型プールや最近のクルーズ客船では当たり前になっている船体の低い位置に救命艇を並べるべイ方式等々。このような先を見据えた先見的な設計故に幾つものオペレータで活躍しつづけ、日本でもつい最近までPEACE BOATとして世界一周クルーズを提供していていました。

船体デザインは先輩となるイタリアラインのレオナルドダビンチ、P&Oクルーズのキャンべラを強く意識している様にも思えます。

ホームラインは1988年にホランドアメリカライン(HAL)に吸収されて消滅してしまいましたが、本船は1985年にエレガントでクラシカルな極上クルーズを提供するというコンセプトで設立されたプレミアクルーズに移籍して船体を真紅に塗り替えられ「Big Red Boat」として第2の人生を再スタートしました。

その後2009年からは国際交流NGOのPiece Boatとして世界クルーズを実施していましたが、さすがに老朽化が進みクルーズ寄港地先々で緊急修理のためのドック入りをすることが多くなった本船は2012年に惜しまれつつスクラップ売船されました。

 

このモデルについて 

手に入れたモデルはMercatol社1/1250スケールの金属モデル。

1) レーダーマストが変形して届いたのでこれを修正。

2)本船の特徴でもある尖った船首のカーブが若干鈍い様に感じたのでこれを精密

ヤスリで削り出して修正。

3)船体中央のMagrodomeが単に銀一色で塗装されていたので白でスライド機構の

   分割ドームの枠を再現。

4)船窓の墨入れや細かい塗装の追加。

 

後姿

 

 

全形



COSTA Line / COSTA CRUISE

Carla C 

カルラ C(コスタ)

元はフレンチラインが第二次大戦後最初に建造した2万t強の大西洋横断定期航路用客船であったSS Flandre:フランドルです。

このフランドルの処女航海(1951)はトラブル続きでした。度重なるエンジンの不調やメイン電気系統のショートによる動力喪失が続き、ニューヨーク港には何とか到着できたもののすぐに修理のため建造ドックに回航されました。

ドックでの改修は6か月以上に及び、サービスに復帰したのは1953年でした。

その後問題は落ち着き、一年の中9か月は大西洋横断航路サービスに、冬季残り3か月はクルーズサービスに従事しました。

1967年にコスタクルーズに売却されたフランドルはCarla Cと改名されましたがまずプリンセスクルーズの船を舞台にした当時人気のTVドラマシリーズ「ラブボード」のセット用に改修されて貸与されます。

2年間のプリンセスへの貸与の終了後、正規の客船サービスに復帰するため1974~1975年に徹底的な点検と改修が実施され、曰くつきのボイラーは撤去されてディーゼルエンジンに換装されました。

カリブ海クルーズに投入されたCarla Cは1984年にも船体の延命とアコモデーションの大改修を受け船名もCalra Costaと改名、さらに1992年まで順調なクルーズサービスを続けました。

最後はギリシアのEpirotiki Lineに売却され名前をPollas Athenaと変えてギリシアのアテネからエーゲ海諸島-トルコへの短期間クルーズサービスに従事しますが1994年3月のクルーズ時に大火災を起こして大破。その年瀬にスクラップヤードにて生涯を閉じました。

 

このモデルについて

メーカ不詳のポリストーン系1/1250スケールのモデル(中古品)です。

塗装は喫水下のブルー、ライフボード内部のレッドとファンネルだけでした。

改修箇所は以下の通りです。

1)船窓等の墨入れを全面的に実施

2)デッキの塗り分け追加塗装

3)ライフボード側面のロープ表現の追加塗装

4)レーダーマストの見張室より上の部分を屈曲整形。メインマストはメタル製で

   したので慎重に写真のように屈曲整形しました。

5)ファンネル基部の塗り残し修正とトップ前面のグリルの表現

6)船体両舷に0.5mmのイエローのアートラインで帯を表現

 

といったところです。

 

改修前オリジナル

 

船首部

 


このCostaの客船モデルはなんだ?

展示・保管棚の掃除中にコレクションの初期に数ドル程度?で入手した記憶のあるこのモデルが押込まれてていました。

MarcuryのFLAVIAです。

このイタリー製のモデルは硬めの金属で船体造形のみ大まかに鋳造再現されており、どこぞの筆箱の如く「象が踏んでも壊れない(やっぱり潰れるかな)」を地で行く様な.........。

モールドは最小限、マスト類は同じ寸法の一本ロッドが刺さっているだけ。さらに光沢過剰の分厚い塗装が施されています。

ただし裏の刻印に船名が刻印されていますので「ああ、あれか.....」と判りますが。

おまけに横っ腹に鋳造ゲートか押出しピンの跡か?がクッキリ残ってるし.......

とは言えファンネルのマークは筆できちんと手書き。

そんなわけでお蔵入りしたのでしょう。

「ダメージ品モデルを安く入手し、手を加えていこう」といった収集当初の意気込みを久しぶりに思い出し、修復ドッグへ。

なんとか仕上がってきましたので展示ルームに移しました。

 

T/N FLAVIA C

フラビア C(コスタ)

この船は元はCunardの大西洋横断航路貨客船「RMS MEDIA」でした。

伊のCampagnia Genovese Di Armanentoが1961年にこの船を買い取り、オーソドックスな貨客船であった面影の欠片すら見られない当時としてはモダンな客船にリビルド。船名をFLAVIAと改名し、エーゲ海クルーズ、ワールドワイドの運行サービスを実施します。

 

1968年にこの船がコスタに売船され、当時としてはまだ新しいチャレンジであったフルクルーズ船へと船内アコモデーションを大改造し、Flavia Cとして再デビューさせます。 

マイアミ・バハマ海域や地中海での短期間クルーズで大きな成功を収めたFlabia Cも1982年に香港の船会社C.Y.Tungに売られますがクルーズサービスへの復帰叶わずそのまま係船状態に。

1986年には香港系船会社VirtueShipping Shippingに転売されSS Lavia と改名しますがこの船のキャリアーはここで終焉を迎えます。

係船中のLabiaは1989年に船内火災を起こし、全損してしまいました。

 

今回の改修点

往年の雄姿の写真を参考にまずデッキを全面的に再塗装です。

とは言え船首や船楼にはデッキプランの様な構造もなく積み木のようなモデルですから船体色のホワイトによる縁取り強調処理でそんな風に見せています。

さらにファンネル後部に張り出していた整流フィンを0.5㎜のプラバンから切り抜き自作して取り付けました。

また痕跡すらない船首デッキの鳥居型デリックとブームもそれなりに自作し、取り付けました。

欠損していたレーダーマストは(多分一本ロッドが刺さっていただけ)根元の取り付け部跡を削り、別途改造用のダイキャストパーツから代用品を設置しています。

さて修復作業終盤は船体に。

喫水下のブルー塗分けラインのゆがみを修正してから、上部の細い一本ラインを0.5㎜のアートラインテープを貼り付けて再現(もう少し細い方がよかったですね)。

アンカー収納部と船窓類を極細サインペンで描いた後にプロムナードデッキ部にアクセントカラーで墨入れ。ここはブラックよりグレーの方がよかったかもしれません。

最後に左右の船体側面につや消しスプレーを軽くふき、アートラインテープのズレ防止とオリジナル塗装のギラつきを落としました。

 

いつもと違う右舷から.......

 

 


EUGENIO C 

エウジェニオ C

イタリアが建造した最後の大西洋横断定期航路向け客船エウジェニオC 3万2573総tです。

1966年8月に処女航海、その後10年間イタリア客船として唯一大西洋横断定期航路サービスを続けた船でした。

歴代のイタリア豪華客船と同様にモダンな船容と内装に加え、27ノットの高速性能で注目を集めました。

70年代に入ると他船と同様にクルーズ船としてのサービスの頻度が増えましたがそれでも年に数度は大西洋横断航路としても運航を継続していました。

1984年にクルーズ専用船に改修され、名前もEUGENIO COSTAとなりますがそのコスタライン自体もコスタクルーズと改名してクルーズサービス専用オペレータに転身します。

1996年コスタの船として最後のクルーズを実施後、何度か転売されますが2000年にプレミアクルーズに渡り赤い船体で有名なBig Red Boat Ⅱとしてプレミアが掲げる優雅なクルーズサービスを提供してきました。

しかしながらプレミアクルーズの事業不振・倒産とともに係船状態になり結局クルーズサービスへの復帰はかなわず2005年にスクラップになっています。

 

このキットについて

CMKR社の1/1250スケールのダイキャストモデルです。

出来の良いモデルと思います。

船窓の墨入れだけを実施し、中断状態ですが時間ができたらデッキの塗装位はしてやりたいところです。

 

オリジナル後姿

オリジナル船首

船体中央部

 

船尾デッキ部


イタリア客船 Eugenio C

改修完了

船首楼船窓の墨入れのみ済ませ、永らくそのまま係船放置状況だったエウジェニオC。

やっとイタリア客船の番となりました。

カラー写真は多いのですがデッキ色はバリエーションも多く、悩みどころです。ここは1966年就航当時の写真と思われるものを参考にしました。

引退するFederico Cの代船として南アメリカ航路を引き継ぐべく1964年に建造が開始された本船ですからデッキパターンも先代船同様の出で立ちでデビューした様です。

その後、船首デッキやブリッジ周りの船員エリアはグレー、その他ゲストエリアはデッキ階ごとに色を変えたり、ライトブルーで統一されたりといろいろな姿が見られたようです。

プールは縁が白、2段の深さに応じ淡い水色とマリンブルーの塗り分けがされていたようです。オリジナルモデルでは浅瀬部が淡い黄色、縁取りもありませんでしたのでこれを修正しました。

また船体上部中央のプールデッキ前部に設けられていた格子状の天蓋がなかったのでこれを適当に追加し、今回初めて両舷プロムナードデッキ窓の墨入れにタミヤアクセントカラーを使って実船のクッキリした船窓が並ぶ印象にチャレンジしました。

最後に両舷側の細いブルーライン(凸モールドのみ)を描いて完了。

イタリアの客船は白が似合う明るさと粋が融合したデザインの船が多いですね。

次はイタリアラインのラファエロの改修(ミケランジェロも併せ再修正)を予定しています(おっと、初の予告)。

 

後ろ姿

 

 


Costa Classica   

コスタクラシカ

中古の定期航路船やコンテナー船を大改造した3万t級クルーズ船団によるサービスで地中海クルーズの雄にのし上がったコスタクルーズ:Costa Cruiseが当時としては最高の建造船価を投じて新造した5万5千t級のコスタクラシカです。

姉妹船にCosta Romantica:コスタロマンチカがあります。

往年のイタリアラインの豪華さとモダニズムが調和した客船サービスの再興を目指した船と評価を受けています。

就航が1992年ですから決して最新の船というわけではありませんが昨年2014年に姉妹船2隻共々アコモデーションの大改修を施され、船名をCosta neo Classica/neo Romanticaと改名しています。

この正面斜めからみるとバルバスバウにつながる船首のカーブが絶妙で、一見非常にスリムな船に見えますが真上から見るとずんぐりしたカーフェリーのような船首であることがわかります。船首はもう少し長くできなかったのかとも思うのは自分だけでしょうか?

 

このモデルについて

さてモデルはOptatus BERLIN製 1/1250スケールのダイキャストモデル。

このOptatusというドイツのメーカーはSextantやOstrowskiといった比較的高品質の製品を世に送り出していたメーカーのライセンス生産を行っている様で、このモデルは2014年11月に再リリースされたもののようです。ホームページではデッキがエメラルドブルーで塗装されているバージョンもリストされています。

入手時のオリジナル写真の如く、繊細なモールドとともに塗装がすでに施されていて、まず手を加える必要もほとんどないでしょう。

それでもあらさがし的に見てみると……

1)三本を束ねたファンネル上部の黒色部の幅を個々そろえます。

2)ファンネルのCマークは当時としては明るめなブルーが一般的。

       紺から修正しました。

3)プロムナードデッキのグラスシールド(黒塗装)が一部歪んでいたので修正。

4)一部塗膜の浮、剥がれの修正。

5)船尾のデッキ各層が側面と船尾で微妙にずれているので精密ヤスリで面一に

   微小修正後水性アクリル塗料(CITADELのWHITE)で再塗装。

6)ライフボード底部等のスプレー塗装の届いていない部分、船体の微小な隙間等

     を5)同様に水性アクリル塗料で補修した。

 

このモデルの塗装は(たぶんエアスプレーによる)薄くて均一な塗装で極めて綺麗なのですが下地の合金との食いつきが悪いのか船首のバルバスバウ上部から船首にかけて塗装の浮や剥がれが見られました。またこの塗膜がグンゼやタミヤの溶剤系アクリル塗料との相性が悪く(下地食いつきの悪さと合わせて水性塗料か?)この修正に手間取ってしまいました。水性アクリル塗料ですと上塗り塗装が可能でした。

まあ、修正等の取扱いには注意を要するモデルの様です。

 

オリジナル

 

修正前船尾成形ズレ

ズレ修正後

 

修正後船尾より

 



Lauro Line(MSC Line)

Achille Lauro   

アキレ・ラウロ

1985年に起きたハイジャック事件で一躍有名になったM.S. Achille Lauro:アキレ・ラウロ 2万3629tです。

同船は1947年に船名Williem RaysとしてオランダのLloydにより欧州・東インド航路に就航した客船です。1946年7月に船は完成していましたが第二次世界大戦の影響で初航海が1年以上も延期されていました。

この船は同時期の他の客船に比べ独特なデザインを有しているのがお分かりいただけるだでしょう。

全てのライフボードを船体下部のメインデッキ舷側に一列に並べる形式は今ではクルーズ船に常套的に採用されていますが(1910代のドイツHamburg America Lineの豪華客船群に船体後部半数のライフボートを同様な位置に配置する例もあります)、P&OのCanberra/Orianaの先駆といえるでしょう。

1965年にLauro Line(現MSC Line)に売却され、Achille Lauroと改名して欧州-豪州航路に投入され、その後1972年にクルーズ船に改修されました。

1985年10月9日、同船がパレスチナ解放戦線のメンバーにハイジャック(日本ではシージャックと一般的には呼ばれてますが)されるという大事件が起き、世界中にそのニュースが配信されます。

人質解放交渉が続く緊迫した状況下において米国人の男性が殺害されるという悲劇もおこってしまいました(当該事件の決着過程とその後の顛末は他の資料・文献を参照ください)。

同船は事件終結後もクルーズサービスを継続しましたが1994年11月30日、南アフリカへの航海途中のソマリア沖で船内エンジンルームから出火。乗組員による消火活動は難航し、船長は同船放棄の決断を下して乗客・乗組員は全員同船を退去。ライフボート上で近くを漂流中、最初に現場に到着した原油タンカーHawaian Kingに救助されます。

同船は洋上で燃えるに任せられ12月2日に沈没、その生涯を閉じました。

 

このモデルについて

モデルはCMKRの1/1250スケール ダイキャストモデル。

永年生産休止状態だったものの再生産品と思われます。本船就航当時のWilliem Raysも同メーカーのラインナップにあったようです。

モールドは繊細でプロムナードデッキ全周の窓類やプールデッキの防風壁等はすべてスリット状に抜けており(ただ型の痛みからか大分モールドが潰れていますが)、さらに丸窓等はの表現は堀が深く、ほとんど追加の塗装処理はいらないくらいです。

逆に塗装はCM社の製品に共通した船体とファンネルのみ。

船体、ファンネルの青はモデルのトリトンブルー系よりももっと青いコバルトブルー系の方が実船に近いでしょう。

今回も同船を後部から俯瞰したアートポスターやカラー写真を参考に塗り分けてみました。

この船の特徴である下層の広いボートデッキとその上のプロムナードデッキやさらにその上部デッキに設けられたプライべートテラス付コンパートメントのテラスの塗り分けには手こずりましたがこれらデッキを塗り分けておくと立体感が増す様に思います。

 

オリジナル(新品)

 

改修後の後姿

デッキ俯瞰

 


Achille Lauro  船体塗色の変更

最近手に入れた真横からの大きな船体写真を参考にオリジナルの船体とファンネルの色をより実船に近づけました。

実船の写真にはモデルオリジナル塗色の様に白みがかったブルーグレーのものも見当たるのですが..........

オリジナルの喫水線付近の繊細な細い白/赤のラインは勿体ないのでマスキングで残しています。

ファンネルもラウロラインの白星マークを残し、同色で塗装し直しています。

 

船首より

 

船尾より



V-Ships/Sitomer Line

SS Arbatros

アルバトロス

クルーズファンの方にはFairwind、Dawnprincessの名で知られた船です。

元はCunard のオーシャンライナーSaxoniaクラスの一隻だったRMS Sylvania。

1957年John Brown造船所で生まれたこの2万t弱の船を姉妹船Iveriaと共にイタリアのSitmar Lineが1968年に購入して1950年代半ばから続いていた豪州移民輸送事業向け定期航路移民船に充てるべくFairwind/Fairlandと改名します。

豪州政府による新規移民受入れ契約獲得のため買い求めた2隻でしたが豪州政府からの契約は他社が獲得し、2隻は仕方なく2年間係船状態に置かれてしまいます。

Sitmarはこの姉妹船をクルーズサービスへと転向させることを決断し、大改修の後に夏季には活況を呈する北米クルースに、冬季は南米クルーズへと投入してこれらサービスは好評価を得ることに。

蛇足ですがこの時に姉妹船のFairlandはFairseaに再改名されています。

1988年、Sitmar LineがP&Oグループに吸収され、P&Oは傘下のPrincess Cruiseに同船を配船しDawn Princessの名で北米クルーズに投入しました。

1993年にSitmarの創設者Alexandre Vlaso率いるVlasov Group の流れをくむV-ShipsがDown Princessを買い戻してAlbatrosと改名し、ドイツのPhoenix Reisenと同船のチャーター契約を結んでPhoenixによるクルーズサービスが開始されることに。

同船は1995年に紅海クルーズ中のエンジンルームの火災、1997年バーソロミュー岩礁への衝突と大きな海難事故を起こしながらもその都度修理されて復帰してきましたが2003年推進機関に深刻なトラブルを起こしたことでPhoenixはチャーター契約を打切って船をV-Shipsに返却してしまいます。

V-Shipsは船歴50年近い同船への更なる修理を断念、インドの解体業者にスクラップ売船して2004年にインドで解体されました。

 

この様に幾つものShip Owner/Operaterを転々とした船の展示はどこにしようか迷います。展示モデルの実船を所有していたV-Shipsは英国企業とされていますから本来は船の誕生経緯も含め英国の船の展示室に.....と悩みましたがやはり永らく生き残ったクルーズ船へ転身させたSitmarとその流れを汲んでいるV-Shipsに敬意を表してイタリア船として扱うことにしました。

 

              このモデルについて

Caratの1/1250スケールのダイキャストモデルです。

Carat社お得意の緻密な造りのモデルですが手にいれたときは各所にダメージのある状態でした(それゆえに格安でしたが)。

細かい手すり類は船体からはがれ、曲がった状態でしたが運よく全て揃っていました。

船首に軽いゆがみがあり、メインレーダーマストも紛失した状態でしたが、面白いことに船首デッキに実船にはないフォアマストが立っています。

よく見ると3Dプリンティング出力パーツのような強靭なプラ素材による立体造形マストが無塗装のまま取り付けられています(う~ん、元のキューナードライナー時代でさえ無いのに......)。

まあ、総じてなんとかなる範疇と判断して修繕を開始です。

まず軽く船首をたたき出して整形し、不要なフォアマストは根元から切断しました。

手間がかかったのは細かいレール類の再整形と接着です。前の持ち主の方?もトライしたのか一部にエポキシ系接着剤で止めたような跡もありました。これらの除去も大変です。

細ピンセットと精密ラジオペンチ、爪楊枝で(こうなるとハズキルーペは必須:笑)手すりの駒間の整形やねじれ等をゆっくりほどき、デッキとの位置合わせ後にゼリー状瞬間接着剤を爪楊枝の先に少量つけながらポイント接着しながら再固定していきました。

非常に繊細なパーツ故に100%修復は無理ですがなんとか体裁だけは整えることが出来たように。

紛失したていたメインレーダーマストは幾つかの角度から撮られた写真を参照にして形状の近い別売修理パーツから調達。ファンネルとの比較高さを調整し、つや消し白塗装後に接着しています。

 

船首歪みと謎のマスト

手すり類のダメージ

レーダーマストは紛失


改修後の船首

レール類の補修

 

レーダ-マストの再生