SS Kaiser Wilhelm Ⅱ
カイザー・ベルフェルム2
北ドイツロイドがカイザー・ベルフェルム・ディア・グローセに続き1904年に就航させた大西洋横断定期航路の豪華客船です。
当時としては23ノットを出せる高速船で、その年に東回り航路でブルーリボンを獲得しました。
第一次世界大戦の戦禍を避けるためにNY港で係船待機していましたが米国の参戦により1917年に船は米国に接収、輸送船USS Kaiser Wilhelmとして改修されて1917年9月には正式にAgamemnonと改名され米軍輸送船として徴用されます。
兵員輸送に活躍した同船は1918年のドイツ降伏をもって一旦軍務を解任されますが再度陸軍で輸送船として改修を受けMonticelloと名を変えます。
残念ながら豪華客船として名をはせた同船は最後まで定期航路客船への復帰はかなわず、老朽船として1940年にスクラップになってしまいました。
このモデルについて
CMKR社の1/1250スケールのダイキャストモデルです。
4本煙突と通風管がイエローで、マスト類がブラウンで塗装されている以外デッキの塗り分けはされていません。
この船も改修作業待ちです。
船尾から
船首
ファンネル部
船尾部
SS BREMEN
ブレーメン
Lloyd(ロイド)として初の5万トンを越えた巨船であり、姉妹船には戦後連合国に接収され戦時賠償としてFrench LineのLIBERTE:リベルテと改名されたS.S. EUROPE:オイローパがあります。
第一次大戦終戦後の1930年代、第二の豪華客船建造ブームの火付け役にもなった本船は約20年も東西両周りにおけるブルーリボンを保持続けたキュナード社モーリタニアの記録を東西両ルートにおいて立て続けに撃破し、ブルーリボンをドイツに持ち帰った高速豪華客船です。
その後、姉妹船のオイローパにブルーリボンを譲りますがイタリアラインのレックスやフレンチラインのノルマンディー、キュナードのクイーン姉妹とその争奪戦が引き継がれていくのはご承知の通りです。
またこの船の面白い特徴は、二つのファンネルの間にカタパルト発進式の郵便輸送機Junkers:ユンカースJu46を一機搭載していることです。英国風にいうなら同船はRMS(Royal Mail Ship)あり、船が目的地に入港する前にカタパルトから発進したこのユンカースが一足早く郵便物を届けるというサービスでした(これでどれだけ短縮されたのだか?)。
ブレーメンはその後勃発した第二次世界大戦中にドイツ軍徴用船として改修を受けるために係留されていたドックでロイド社への私恨による単純な放火によって全焼してしまいました。
このキットについて
モデルはMercatol社 1/1250スケールのダイキャストモデル。
オークションで完品(掲載写真も無傷に見えた)ということだったのですがセカイモンの検品センターに届いたものは確かに経年汚れもなく、塗装剝げもほとんど無いもののの梱包が甘かったのかはたまた米国内での輸送業者:USPSの粗雑な扱いでこうなったのか、マスト類は折れ曲がり、前部のデリックブームやカタパルトに輸送機を搭載するためのクレーンデッキが左右ともに外れ、さらにクレーンパーツが片方紛失していると写真付きでセカイモン担当者さんから連絡が(写真1)。
まあこれくらいなら問題なしと発送をお願いしたところ破損パーツはビニール袋に入れ何重折に畳んでクッション状にして送ってくれました。
気を取り直して修復、修復。
1)まずは折れ曲がったマストを修復。
半田線の様な柔らかい素材のため一度曲がると真っ直ぐにするのは結構やっかい。
少しずつ精密ピンセットで修正を重ね、とれていたクレーンブームも取り付け、
まずは第一段階終了。
2)続いて、船体中央上部のクレーン。
根元から折れているのと片方紛失しているため送ってもらったパーツは寸法取り
のみに使い、氷川丸等のパーツを流用することとししました。
まずピンバイス(小型精密ドリル)で位置決めの穴を軽く堀り、少し太めだが高さ
がほとんど同じだった氷川丸のクレーンパーツを取り付けることとしました。
3)塗装がはげた先のマスト類と新パーツで追加した中央クレーンの塗装。
クリームイエローをベースに若干マホガニーを足し調色しました。
4)船体の塗装剝げと船窓の墨入れ、船体中央カタパルト下の船名プレートに名入れ。
5)ブリッジやデッキハウス前面下部に施された細いラインをグラフィックテープ
0.4mmで再現し、最後にスクリーントーン(Letraset #272)を採寸してカットし、
貼り付けることで単にえぐれただけの後部デッキ2層分の支柱構造を再現し、今回の
修復を一通り完了。
輸送ダメージ状態
修繕後の後姿
郵便連絡機
S.S. EUROPE (Ⅱ)
オイローパ
1930年に北ドイツロイドが第一次世界大戦敗戦後の国内沈滞ムードを払拭すべくブルーリボンホルダーを目指して大西洋航路に就航させた5万トンの豪華客船オイロ-パ:S.S. Europe。
造船所はドイツのBlohm & Voss(ブロームウントフォス)です。
この船は先に取り上げたブレーメン:S.S. Bremenの姉妹船で、二隻同時に発注・建造されほぼ同時にロ-ンチする計画でしたが先に完成予定であったこのオイロ-パが艤装中に火災事故を起こし消火には成功したものの着底してしまったために引き揚げ作業や再艤装のために完成が遅れブレーメンが先に就航することとなりなりました。
大西洋航路でブルーリボンを獲得するために初期の計画より船体幅を減じてスリム化し、高速航行時の抵抗を減ずるかのように船首のハウス部前面を大きく湾曲させるとともに切り詰めた様な低いファンネルを並べ、この姉妹船の姿は同時期の船とは異なった印象を受けます。
このデザインが高速性能にどれほど役に立ったかは別としても設計者の並々ならぬ野心がうかがえ、同船は1930年3月の処女航海時に西航路ルートで前年度にリボンホルダーとなった姉妹船ブレーメンからその栄冠を受け渡されました。
ただこの低いファンネルは煙がデッキにまで絡んでしまうという欠点があり(停泊中の写真等でも確認できます)、その後背の高いファンネルに交換されています。
同船は第二次世界大戦終盤に連合国側に接収され、その後戦後賠償物として米国にて兵員輸送船に改造されましたが当時ニューヨーク港にて同じく米国の手で兵員輸送船へ改装中に火災喪失してしまったノルマンディーの補償代船としてフランス側に渡りLiberteと改名され永らくFrench Lineを支えたてきました。
最後はあのS.S. フランスの就航を機に廃船スクラップとなっています。
このモデルについて
モデルはBremenと同じくMercatorの1/1250スケール。
就航当時、Bremenと同様に2本のファンネル間に設置されていた小型郵便輸送機発進用カタパルトが撤去された後の姿のもの。モールドの潰れもほとんどなく非常に良い出来キット。
船体の白と黒の塗り分けラインはカチッとした美しい仕上がりで手を加える必要もありません。
Mercatorのモデルなのでデッキやデッキ上の附機類はきちんと塗装されています。
プロムナードデッキの窓も堀が深く、後ろのデッキまで(実際は無いのだが)抜けているかのように見えるので墨入れのもしていません。
手を加えたところは以下の点のみ。
1)船首ハウス部全面の丸窓と操舵室の窓の墨入れ
2)ファンネル間のハウス側面にある船名を黒で塗装
3)すでに塗装済みのデッキとハウス等の微妙な塗装かぶりを修正。
4)ファンネル基部のハウス部が別パーツ化してデッキに設置されているのですが
デッキから全体的に0.5ミリほど浮いていたのでゼリー状瞬間接着剤で穴埋め
してから白塗装することでそのギャップを埋めました。
後姿
船首
カタパルト撤去
船尾
TS BREMEN
ブレーメン
この船はCompagnie de Navigation Sud- Atlantique向けSS Pastour:パスツール
2万9,253総tとして建造されました。
会社がフレンチラインに吸収されたためFrench Lineの所有船になっている本もあります。
当時勃発した第二次世界大戦の影響で建造作業が遅れたものの1938年2月に無事進水しパスツールと命名されたのもつかの間、その一ヵ月後、艤装中に火災を起こし再び作業が遅れ1938年8月にやっと完成にこぎつけました。
中型船ながら当時としてはモダンなデザインの白亜の船体に専用スチームタービンを搭載して(この点本来ならSSではなくTSとされるべきですがフランスではあまりこのような区別に拘りがなかったようです)高速豪華貨客船としてデビュー。
しかし戦局の悪化で客船としての処女航海はさらに延期され1940年非公開の処女航海として大西洋横断航海に出港します。なぜ処女航海が秘密にされたかというと積み荷が金塊だったためといわれています。
その後フランスの敗戦により本船は英国管理船となりキュナード・ホワイトスターラインにその運行を任されて46年まで兵員やドイツ兵捕虜の輸送船として徴用され6年後にフランスに戻されたものの客船として活躍する場は与えられず10年ほど復員兵等の輸送に従事させられました。
1957年、北ドイツロイド社に譲渡され、同社のフラッグシップTS BREMENとして就航すべく近代化改修工事を受けました。
北ドイツロイドと言えば第一次大戦前はホランド・アメリカラインととともにキュナード、ホワイトスターラインと肩を並べるドイツ屈指の老舗大西洋定期航路客船サービスカンパニーでしたが、第一次・第二次両大戦で同国の大型商船隊はほとんどが損耗や戦後賠償金として接収され壊滅的な状況となっていましたので戦後ドイツ海運業の再復興としてパスツールに白羽の矢があたったというわけです。
戦前の大型客船とは比べようもありませんが、総t数で32000t越えとなった船体はさらにモダンなスタイルに改修され、船首バルバスバウや新スタビライザー等の設備を搭載されて、現代的なクルーズ船として再デビューをはたしました。
ロイドで1977年まで活躍した後は転々と船籍や船名を変え、最終的に台湾のスクラップヤードに向けて曳航中にインド洋沖で横転し、瞬く間に沈没してしまいました(うーん、怪しい)。
まあ数奇な運命を辿った船の代表格の一隻ということで。
このモデルについて
手に入れたモデルはSS.Europeと2隻セットでしたが、ともにプラスチック製のものでした。
黒のプラ船体に黄ばんだようなクリーム色(もとは白?)の一発モールディングのデッキハウス部を張り合わせ、ファンネルやレーダーマスト、クレーンデッキ等が付いていた様です。
らしいというのは写真のように後部のマストが一本残っているだけで後付けパーツ類はすべて喪失した状態でした。
修正箇所は以下の通りです。
1)ハウスデッキ部側面等をクールホワイトで再塗装。
2)ファンネルの調達:先のニューアムステルダムの撤去した第一ファンネルを流用
3)クレーンマストは青島の氷川丸のものを使い、クレーンブームは0.4mmの真鍮線
を加工したものを接着。
4)レーダーマストと中央マストはどうしようもないのでプラ材でそれなりに加工。
5)船窓の墨入れにブリッジ等の窓をインレタ処理。
6)最後にライフボート上部を赤で塗装して
なんとかクルーズ船TS BREMENとして修正を完了しました。
上段がオリジナルブレーメン
改修後の後ろ姿
MS Berlin
ベルリン
少し古いクルーズシップです。
1924年Swedish America Lineが北大西洋定期航路向け客船として英国のアームストロング・ホイットワース造船所に建造を発注したGripsholm:グリスプホルムがその前身です。
同船は翌年定期航路に就航し、地中海クルーズ等にも従事しました。
1955年にNorddeutscher-Lioyd:北ドイツ・ロイドに売却されBerlinと改名し1966年廃船スクラップになるまで北大西洋航路サ-ビスに活躍しました。
グリスプホルムは第二次世界大戦中、アメリカ政府にチャーターされ独日/連合国間の交換船として活躍した船です。1949年には船首の延長・形状の変更に加えファンネルを扁平・短めの形状のものに交換しました。
今回の入手モデルはこの改修後の形状です。
このモデルについて
さてモデルはAlbatrosの1/1250スケール。
このメーカーの製品としては非常に出来の良いモデルです。
入手時のオリジナル写真を見てもらえばわかるように繊細なモールドとデッキ各部の塗装が施されていますので、手を加える必要もほとんどないでしょう。
追加改修ポイントとして……
1)船窓の墨入れ(プロムナードデッキ部分は黒では色調が強すぎるのでグレーで)
2)ライフボードに繊細に凸モールドされたロープの塗装での再現
3)船首等の附機類の塗り分け
4)船体の白黒塗り分けラインの微小修正
位で十分と思います。
後姿
船首部
中央部
船尾部
SS Scharnhorst
シャルンホルスト
シャルンホルストと言えばイギリス海軍との激戦で沈んだ独戦艦を思い受べる方が多いと思いますが、こちらは北ロイド社が1935年にブレーメン-横浜の極東ルート向けに就航させた大型客船1万8184総トンです。当時から蒸気タービン/タ-ボエレクトリック駆動を採用し静かさと21ノットの高速性を誇っていました。
姉妹船としてはグナイゼナウとポツダムの2隻が建造されています。
実はこの独客船シャルンホルスは日本との縁が非常に深く、極東ルートの客船として神戸港や横浜港に帰港していただけでなく、1942年に日本海軍が本船を買い取り翌年呉の海軍工廠で空母神鷹(SHINYO)に改造されています。
しかし公試当初からシャルンホルストに搭載されていた高性能ボイラー(ワグナーボイラー)を使いこなせずに機関トラブルが多発し、缶圧/出力の劣る日本製のロ号ボイラーに載せ替える再改修工事を受け、就役は1944年6月にずれ込みました。
その後は短い期間ながら船団護衛空母として活躍したものの1944年 11月に米海軍潜水艦スペードフィッシュにより魚雷攻撃を受け、数発が命中して航空機燃料へ誘爆を招き沈没しています。
このモデルについて
Mercator社製1/1250スケールのダイキャストモデルです。
デッキの附機類等ディテールも良く、船窓の表現彫りも深く墨入れも不必要かな?と思いましたが一応タミヤのアクセントカラー(黒)を落としてみました。
写真では見にくいですが珍しく船名が両弦にデカール処理されています。
もう少し船体の白を前面鮮やかな艶消し白にするか(写真では結構綺麗な白に見えますが)、デッキをタン塗装にするか迷っています。
上手く処理が完了しましたら写真を再アップと言うことで。
オリジナル
船窓等の墨入れ処理後
オリジナル
船窓等の墨入れ処理後
オリジナル
船窓等の墨入れ処理後
SS Deutshland
ドイッチェランド
1900年、ハンブルグ・アメリカライン(HAL)が太平洋横断航路に投入した ドイッチェランド 1万6703総tです。
独国内のライバル会社であった北ロイドが1897年に就航させた高速豪華客船カイゼル・ヴェルフェルム・ディア・グロッセのブルーリボンホルダー樹立や大西洋航路での成功からHALの社内においても同様な高速豪華客船の建造計画の機運が高まります。
当初はその建造費用に対する収益効果への疑義から消極的であった最高経営陣もとうとうその建造を決めます。
高速性に重点が置かれたドイッチェランドは就航間もなくしてディア・グロッセからブルーリボンの奪還に成功します。しかしその高速性能のために搭載した大出力のレシプロエンジンによる振動問題から乗船客にはあまり良い評価は得られず、1910年には問題の推進機関を取り換えるなどの大改造を施して純白のクルーズ専用船として地中海海域に再就航します。
船名はビクトリア・ルイーゼと改名しますが、これはジャマイカ沖で座礁し廃船となった同社の豪華クルーズ船(次項)プリンセシン・ビクトリア・ルイーゼの後を継ぐ形で命名されました。
その後、船は大戦時徴用や敗戦の賠償船からも運よく外れて移民船ハンザとして最後のサービスに従事しますが、結局移民の主な受け入れ国であった米国の移民制限政策の煽りを受け1925年に廃船・スクラップになりました。
このモデルについて
CMの1/1250スケールのダイキャスト製モデルです。
船体、マスト類にファンネル、換気ダクトはきれいに塗装されていますがCMの定番通り、デッキは全く塗装されていません。
今回は適当に3種のライトブラウン系塗料でデッキを塗り分けてみました。
オリジナルモデル
改修後のデッキ俯瞰
改修後の後ろ姿
SS Prinzessin Victoria Luise
プリンセシン・ビクトリア・ルイーゼ
Humburg America Line(HAPAG)が純粋な専用クルーズ船として1900年6月に竣工させたプリンセス・ヴィクトリア・ルイーゼ 4409総tです。
当時、海が荒れる冬期に大西洋横断定期航路客船が港でホールドされていた不経済な状況にHAPAGはそれを活用し、収益改善に繋げようと地中海を中心とした長期の船旅サービス(当時まだクルーズという名前が一般的ではなかった時代です)を企画して大好評を得ました。
しかしながら既存の大型客船を転用したこのサービスには色々と不具合があることに気付いた同社はより小型の専用船の建造を決め、これがこのプリンセスビクトリアルイーゼとして結実します。
ヨットに似せたクラシカルな船体に豪華な内装、図書室やジム、映画館の走りのような映写鑑賞室といったユニークな設備も完備し、120のキャビンを全て一等船室に設定するといった当時としては革新的な船でした。高速性能よりも乗り心地に重点を置き、4段膨張式レシプロエンジンによって15ノットの速度はだせました。
1901年1月5日のハンブルグからニューヨークへの処女航海時に最初の西インド諸島へのクルーズを実施。これを皮切りに地中海、黒海等へのクルーズをこなしながら大西洋横断航路客船としても活用されてきました。
1906年12月の西インド諸島へのクルーズ時、船長が寄港地であるジャマイカのキングストンへの航路を誤認し、船をほぼ全速のスピードで岩礁に座礁させてしまいます。
座礁後乗船客は救助され、船のサルベージにも成功しますが船体、エンジンの損傷が大きく結局廃船となってしまいました。
このモデルについて
アルバトロスの1/1250スケールのダイキャストモデルです。
デッキも塗り分けられており、喫水線下や船首船尾の金飾り等の塗装、造形共に出来の良いモデルです。
オリジナル
船首から
オリジナル
船尾から
船首部
船尾部
SS Resolute
レゾリュート
1914年にHapagが建造した2万トンの
客船レゾリュート:SS Resoluteです。
実際はWilliam Oswaldという船名で
建造・進水したのですが、世はまさに第一次世界大戦の真っ只中。
定期航路に就航できず永らく係船されていたようです。
この船の資料はとても少なく、記述が異なるものもあり(特に年代について)以後一部推察を交えた私見を加えて記載しています。
1916年にはRoyal Holland Lloydに移籍し、名をバルバンティア:Barabantiaと改名しました(改名したのは1920年という記述の文献もあります)。
さらに1922年にUnited American Lineに移籍されたときにResoluteの名を与えられました。ここは推測の域を出ないのですが、オランダロイドへの移籍は船体の保護を目的とした緊急避難策であったものが結局連合国側に戦後賠償として接収されたのではないかと思います。
1926年8月10日ニューヨークへの最初の航海が実施され(同じく1926年9月という資料も)しばらく大西洋定期航路に従事した後に世界一周クルーズ等にも活躍しました。 その後、1935年にイタリアにスクラップとして売却された本船は兵員輸送船Lombardia名付けられ当時イタリアが介入したアビシニアン-アベル戦争に徴用されます。
最後は1943年にナポリ沖で雷撃をうけて被災、同国スペッチアでスクラップになっています。
このモデルについて
入手したモデルはMercator製の1/1250スケールダイキャストモデル。
今回もモールドの潰れもほとんどなく非常に良い出来キットです。
船体の白と黒の塗り分けラインは少しばかりマスキング塗装のズレが散見されますが、
2本のファンネル上部の塗り分けラインは丁寧に仕上げられています。
Mercatorのモデルであるのでデッキやデッキ上の附機類はきちんと塗装されています。
手を加えたところは以下のような点のみ。
1)プロムナードデッキの窓や船側丸窓の墨入れ
(少し色調が強すぎました。次回からはグレーに)
2)ファンネル基部全周の塗り残しをファンネル色に近いオレンジにて追加塗装
3)黒色船体の塗り分けラインの微小修正
4)船体後部の白黒塗り分けライン下のデッキ部開口部を白で逆墨入れ。
オリジナル
オリジナル
改修後
SS IMPERATOR
インペラトール
HAPAGがモーリタニアやオリンピック級に対抗すべく建造した5万t越えの豪華客船のインペラトールです。
1913年に大西洋航路に就航しました。
ブルーリボンは取れませんでしたがその豪華さは評判になりました。
Vaterland, Bismarkと3姉妹船として建造されながらドイツ船としての船籍は短く、第一次世界大戦でのドイツ敗戦によって3隻とも戦時賠償品とされてしまいます。
インペラトールは戦中の接収により輸送船USS Imperatorを経て1920年に英国CUNARDのBerengaria:ベレンガリアとして大西洋定期航路豪華客船として復帰。VaterLand:ファーターランドも同様な経緯を経てLiviathan:リバイアサンと改名してUnited States Lineへ。
まだ建造途中だったBismark:ビスマルクはWhite Star LineのMagestic:マジェスティックとして英国で完成し、大西洋横断定期航路サービスに従事しました。
インペラトールは船首の黄金の鷲の飾り(地球を鷲掴みしている姿)が印象的でしたがやはり大西洋の荒波には不向きとされ、ほどなく取り外されます。
永らく英国船ベレンガリアとして活躍していた同船も1938年に船内火災を起こし、そのままサービスを停止、売却され戦後にスクラップになりました。
このモデルについて
CMKR社の1/1250スケールダイキャストモデル
全くの手つかずのままです。船窓等の彫が深いので墨入れはプロムナードデッキ部とその下の船窓及びブリッジ部位でいいかな?
大きい船ですからやはりデッキや船上附器類や明り取り天井等の塗装で見栄えも変わるでしょう。
後姿
船首部
船首部の飾り
中央部
船尾部
SS Vaterland
ファーターランド
この船はインペラトールの第2船として同じブローム&フォス造船所で建造され、1914年6月に北大西洋定期航路に就航しました。
3番船がBismark:ビスマルク(後の
ホワイトスターラインのMajestic)です。
5万4282tとインペラトールよりも全長、総トン数ともに大きめな船として建造されました。
処女航海にて目的地NY港に無事入港したのもつかの間、同日第一次世界大戦の開戦となり、ハパグは連合国(英国)による接収を恐れて船を中立国アメリカの港であるNY港にとどまらせましたが結局米国の大戦参加によってカイザーヴェルフェルムⅡとともに米国にそのまま接収されてしまいます。
1923年から1938年の廃船解体までユナイテッドステーツラインのLiviathan:リバイアサンとして大西洋定期航路に再就航し、ハパグの3姉妹は大西洋定期航路豪華客船としてその栄華を極めました。
このモデルについて
Mercatorの1/1250スケールのダイキャストモデルです。
個人コレクションの放出品をセカイモンで非常に安価にて入手しました。
ただ輸送事故か前部マストが折れ、後部右舷クレーンも紛失した状態で到着したとセカイモンから連絡があり、まあ価格と状況から修理も容易と考えキャンセルせずにそのまま日本に送ってもらいました。
開封後のオリジナル状況の写真ではわかりづらいかもしれませんが、船の造形は素晴らしいのですがメルカトールには珍しく船体上部が白ではなく薄汚れた様な暗いタン一色で処理されています。
この色はあまりに暗すぎだろうとハウス部の全面塗り替えを決断。デッキ部はこのままの色を残すことに決定しました。
改修していくと判ったことなのですがCMKRのモデルのようにデッキ等含めて全面白塗装されているよりもこちらの方が改修がし易いようです。
チマチマとデッキを塗り分けていくよりもハウス部の壁面を丁寧に塗っていく方が遥かに楽です。
マスキングは船体両舷の黒色船体部との塗り分けラインのみです。
その他の改修点は
1)ブリッジ部をこげ茶で塗り分け追加
実際は黒かもしれませんがブリッジの船窓を先に黒ラッカー塗料で墨入れ処理し
てありますので少しコントラストをつけるためにこげ茶にしました。
ブリッジ部の塗り分けは3姉妹船中このファーターランドだけなのも興味深いとこ
ろです。後のリバイアサンでもそのまま残っていました。
2)マスト類はブラウン系に塗り直し
3)第三ファンネルの本体下部に設けられているスリット(多分グリル?)を黒塗装
4)デッキ上の付機類やハッチを追加塗装
手間はかかりましたが本来出来が良いモデルですので改修の甲斐がありました。
到着時の破損状況1
改修後船首部
船首エンブレム
到着時の破損状況2
改修後
改修後の後姿
謎の豪華客船(Vaterland Ⅱ)
今回は最近ネットオークションで見つけた「謎の豪華客船」のモデル。
フレンチラインのノルマンディーとイタリアラインのレックスからインスパイアされたようなデザインのこの船。モデルの裏側にはVaterland AT7 Germanyと刻印があります。
このATというメーカー略号についてはどんなメ-カ-なのかいまだに不明(追記:後日アルバトロスであることが判明しました)。
しかし確かにファンネルは基本的にはハパグ・ロイド仕様です。
でもちょとまて。Vaterlandといえばこのドイツの客船展示コーナーでも紹介済みのドイツが世界に誇ったインペラトール級姉妹船の一隻。威風堂々たる船体に3本のクラシックファンネルを載せた豪華客船でした。
しかしこのモデルの船は2本ファンネルとともに全体的にモダンなもの。
恥ずかしながら当館もこの船のデザインに全く見覚えがありませんでした。
ネットオークションでも誰も関心を示していませんでしたし(皆さんフェイクと思ったのか…..)。
ただなぜかこの船体デザインが気に入り、架空船体でもいいやねとゲット。
がまてよ?さすがにこの手のメーカーが架空の船体をモデルにするわけはないし、場合によってはあのキュナードのQ3プロジェクトのモデルと同様に計画段階の船体かもと考えて、 一か八か「Vaterland 建造計画案」と「Vaterland 2」で検索をかけてみました。
さすがに世の中には物知りの方がいるものです。
ハパグ・ロイドが1938年に建造を開始して42年には進水までにこぎつけながら艤装中の1943年6月25日の午前、ハンブルグの港で大空襲を受けて炎上撃沈されてしまった幻の豪華客船 4万1000tであることが判明しました。
造船所も初代Vaterlandと同じくBlohm unt Vass。
ターボエレクトリック2軸推進とフレンチラインのノルマンディーの先駆のような船でした。
海外の有名モデラーの方が製作したというスクラッチビルドのモデルの写真が見つかり、デッキクレーンの多さにまずびっくり。でもなかなか美しい客船です。
いやいや、まだまだ知らないことばかりで…………
このモデルについて
モデルは1/1250スケールのダイキャスト製の様です。
残念ながらジャンク同然で12個のデッキクレーンに船体前後のマストやブリッジ上のアンテナもなし。 ファンネルには進水記念塗装なのか黒・白・赤の三本ライン様シールの切れ端が残っています。船体、ファンネルとデッキは綺麗に塗装されているのが救いです。ただ黒の船体に一本の細い白帯を引かないといけませんね。
まずマストはジャンクパーツや真鍮ロッドで何とかなるでしょう。
問題は船首6ケ所、第一ファンネル直後に2つ、船尾に4ケ所に設けられたデッキクレーンを何とか調達しないといけません。
さてさて幻のファーターランド二世どうなることやら、こうご期待(このまま放置されたりして)。
完成しましたら写真をアップしましょう。
2016.02.15追記
何とか改修が完了しました。
マストと電動クレーンはホワイトスターのオリンピック級をイメージしてウッドブラウンとホワイトにしてみました。本当はメインマストと同色系の茶褐色
だったようですが。
これだけクレーンが付くとちょっと武骨になってしまいますね。クレーン大のスケールが船体とアンバランスかな?もう少し修正が必要かもしれませんね。
取りあえずクレーンブームの先細り研磨を施して前方にクレーン小を集中的に置いてみました。少しは良くなったかな.........
今回デッキに配置されていた幾つもの電動クレーンの設置方法にちょっとアイデアを用いました。
この工程は1/1250客船モデルリペアプログラムに追記しておきます。
我ながらちょっといいアイデアかと。
入手モデルのまま
改修後
入手モデルのまま
改修後船尾
入手モデルの船首部
改修後の船首
Vaterland Ⅱ CMKR版
左がアルバトロス版のダメージ品を大改造したVaterland Ⅱ。
右がCMKR版に追加塗装等を施したものです。
船長、船幅が大分異なってますね。
実船長を824ft/251mとする記録がありますので1/1250スケールなら約200㎜となります。アルバトロス版は185㎜、ジャスト200㎜のCMKRの方が正解ということになりますね。
船体デザインもスリムなアルバトロス版の方が見栄えはいいのですが........
このCMKR版はプロムナードデッキ等の2段船窓が綺麗に刻印され、ブリッジ等の船楼全面の窓も綺麗に並んでますので墨入れ等すると4万1000tの豪華客船の雰囲気が上がりますね。
難点はいつもの通りデッキが真っ白な点でしょう。
今回デッキの追加塗装や船体の白ライン等を追加し、最後にデッキに並ぶ電動クレーンの色をこのまま黄色とするか、茶褐色とするか、はたまたホワイトにするか見栄えの比較で決めました。個人の好みを前面に出して結果は白。
まあ実船は茶褐色系だったのかもしれませんがここは見栄えで白。
ライフボートのトラックウェイ等も茶褐色、船首部はライトグレーが正解だったようです。(後で再トライしてみましょう.........)
でも1940年建造のこの船の写真が皆無なのはなぜでしょう?
大戦中の資材不足で建造半ば(進水後の艤装工事中)で係船状態となりドック内で連合国の猛空爆を受け、大きなダメージを受けてしまったため完成写真はないのでしょうね。
オリジナル(右)
クレーンは白に決定
クレーンを茶褐色に
船体中央部
船尾から
MS St. Louis セントルイス
Hamburg America Lineが1928年に竣工させた客船セントルイス1万6732総t。
姉妹船はMilwaukee。
この船はMovie Pamphletsコーナーにて展示中のフェイ・ダナウェイ主演「さすらいの航海:原題Voyage of the Damned」の史実としての舞台となった船です。
ハンブルグとニューヨークを結ぶ大西洋横断航路に就航した同船は1939年の937名のユダヤ人亡命乗船客を乗せた航海で世界的に有名になります。その悲劇的な航海の顛末は映画や書籍(絶望の航海)、資料類に譲るとして亡命目的地キューバ等への乗客受け入れの説得に奔走するハンブルグアメリカラインとセントルイス号の船長Gustav Schroderの苦悩、先々で亡命を拒否される乗船客の心情は胸を締め付けます。
映画や資料の一部ではSS St. Louis号となっていますがこの船はディーゼル推進でしたので本来はMS/MVが当てられます(前にも書きましたがフランスやドイツではイギリスほどこの手の区分には無頓着の傾向がありますね)。
1940年の開戦後にはドイツ海軍特務船に改造されましたが、1944年キールでの爆撃によって大きなダメージを受けながらも沈没は免れ、修理された後はハンブルグでホテル船として係留されていましたが1952年にスクラップになっています。
このモデルについて
Mercatorの1/1250スケールのダイキャストモデルです。
デッキ塗装、ブリッジ上部の天蓋表現や個々のデリックブーム先端のクレーン造形に加え、船尾でたなびく国籍フラッグの造形までメルカトールのモデルの中でもピカイチの部類と思います。
よって手を加えた部分と言えば船首楼やプロムナードデッキへの墨入れと僅かな塗装のハゲとライフボートのロープ表現をレタッチ修正した位です。
船首より
ブリッジ上の天蓋
船尾より
デリックブーム
船尾のフラッグ
SS Cleveland
新世界アメリカを目指す移民で賑わう北大西洋横断航路用客船としてHALが1908年に就航させたクリーブランド
1万6960総トンです。
造船所はドイツのBlohm & Voss。
姉妹船はCincinnati:シンシナティ。
HALの客船群にあっては地味な存在の船ですが何度か船籍を変えながらもドイツとアメリカを結ぶ定期航路サービスに従事し続けられた逆に幸運な船と言えるでしょう。
一等船客239名、二等224名、三等496名に1882名のステアレジを乗せ、最新の4段膨張式蒸気機関エンジン/2軸スクリューのパワーによって最高速度は16ノットでハンブルグとニューヨークを結びました。
第一次世界大戦中はサービスを停止しハンブルグで係船されていましたがこの船も終戦後の戦時賠償でアメリカに接収。1919年USS Mobileと名を変え軍船に配されますが一年後ホワイトスターラインにチャーターを経て英国のByron steamshipの手で船名をKing Alexanderと変えニューヨークと地中海を結ぶクルーズに3年間従事した後、再びユナイテッドステーツラインに戻って本来の北大西洋横断定期航路にカムバックします。この際に船名もクリーブランドに戻され、機関をオイル炊きに改修されるとともに船内改装により若干総トン数を落とします。
最後は1926年古巣のHALに戻りアコモデーションの改装を受けながら1931年まで同じ定期航路客船として従事し続け、1933年に故郷ハンブルグでスクラップに。
姉妹船が戦時中に寄港地NYで接収され軍務船Covingtonとして運用中に母国ドイツのUボートの雷撃を受けで撃沈されたことを考えるとやはりこの船は幸運な船でした。
<船体スペック:竣工時>
竣工日:1908年9月26日
処女航海:1909年3月26日
総トン数:16,960総t
船長/船幅:180m/19m
乗客数/乗員数:一等239、二等224、三等496、ステアレジ1882名
このモデルについて
Mercatorの1/1250スケールダイキャストモデル。
細かい造形に丁寧な異塗装塗り分けで好感の持てるモデルです。
ただ繊細なデリックに比して4本マストがちょっと武骨すぎか......
船倉に墨入れ、ファンネルの塗り分けラインを少し修正した位です。
後姿
船首部
船体中央部
船尾部
TS Hanseatic
Canadian Pacific SteamshipのEmpress of Scotland(Empress of Japan)を西ドイツのHambrug Atlantic Lineが1958年の会社設立時に購入し、全くの新造船の如くの大改修を施して再デビューさせたハンゼアティック3万0030総tです。
拡張された船体に同社のロゴである赤地に白い三つ葉模様(3人の会社創設者か?)が描かれた2本のファンネルに換装し、モダンな外観の客船に生まれ変わりました。
外観からは先のCP時代の3本煙突客船の面影はありません。
キャビン内はScotland時代にすでに伝統的な4等級制からクルーズにも活躍できるように2等級制に大改装されていましたが、さらに1350名の乗船客を収容する船内を完全エアーコンディショニング完備とし、最後の繁栄期を迎えつつあった大西洋横断航路に投入されました。
1966年9月7日、NY港内でエンジンルーム火災を起こし船体にダメージを受けた同船はハンブルグに回送されて修理を検討されましたが結局船体ダメージが深刻で断念。同年スクラップになりました。
同ラインはイスラエル、Zim LineのShalom:シャロームを購入して2代目のHanseaticとしています。
このモデルについて
CMKRの1/1250スケールダイキャストモデルです。
デッキは全くの無塗装で、また船体の白黒塗り分けはきちんと微細な凸ラインが引かれているにも関わらず大きく上下にうねっていました。
後ろのマストは根元から曲げられて発送されてきました(Boxは高さが十分にあるのに.......)。
マストを立ち上げ精密ラジオペンチで何度も修正(柔らかい素材で手間取りました)。
デッキはタンとライトグレーを使い分け、ボートデッキも塗装。
後はプールを適当に追加処理してから後部マスト半分をフラットブラックで。
この後部マストは就航時は真っ白でしたが就航後に排煙汚れが目立ちだしたのか途中から黒に塗られ、さらにファンネル内の排煙管のみが延長されて高い管が飛び出したように目立つ姿に変容します。
オリジナル
改修後
シアーラインのうねり
改修後後から
TS Hamburg:ハンブルグ
大西洋横断航路華やかなりし頃は英仏伊とともに隆盛を誇った海運国ドイツは2度の世界大戦の敗戦でその海運力は壊滅状態になりましたが、1969年久方振りに25000t級の新造豪華客船として建造されたのがこのSS Hamburg:ハンブルグです。
西ドイツのHambrug Atlantic Lineが1966年に社名を変更した新German Atlantic Lineのフラッグシップとして華々しくデビューしたハンブルグは円盤状の整流板を付けた奇抜なファンネルデザインでも注目されました。
しかしながら世界を襲ったあのオイルショックの波をもろにかぶり定期航路船として活躍できた日々は永くはありませんでした。それでも当初から定期航路とクルーズの両用船として設計された船でしたのでその後はソビエトのBlack Sea Shipping Companyに渡りMaxim Gorky:マキシム・ゴーリキーと改名、黒海クルーズサービスを中心とする豪華客船として活躍しました。こちらの名前の方がなじみ深い方も多いかもしれませんがこの移籍時に映画「Juggernaut:ジャガーノート」の舞台「Britannic号」としてレンタルされ、爆弾魔により仕掛けられた時限爆弾を解除するために航海を続ける同船に投入された英国海軍の特殊部隊と謎の爆弾魔との息を呑む心理戦が映画全編にわたって繰り広げられたのを覚えている方も多いでしょう。
この船はソ連籍になる前に日本の海運会社「流通海運」が購入に興味を示しましたが残念ながら日本への移籍は叶いませんでした。
2008年Orient Lineに売却されMarco PoloⅡとして最後のクルーズサービスを行う予定でしたが結局これはキャンセルされ、インドでスクラップになりました。
このモデルについて
Hansa ship miniatures製のモデルは初めてなのですがこのHamburgの出来は良いと思います。
デッキの塗装もきちんとなされていますがその塗り分けがちょっと雑でほとんどの部分で床の塗料がデッキハウス等へ被るようにはみ出しています。
また注型後のバリの処理も甘いところがあり精密ヤスリで何箇所か修正が必要でした。
最初に船首をシャープなカーブに修正し、船尾等のバリを除去してからこれら修正部を再塗装。
次いでデッキ塗装のハミ出し部をMr.Colorのスーパーホワイトで修正。
最後にブリッジ周りや船側の窓に墨入れをして完了です。
小さいながらも均整のとれた美しい船です。
船体
後姿