M/S Stella Polaris
ステラポラリス
ノルウェーのベルゲンラインが就航させ「7つの海の白亜の女王」とまで言われたこの豪華客船は日本と非常に縁の深い船です。
1927年竣工のオールドタイマーですが第二次大戦中の混乱期を生き抜き、戦後はクルーズ船として活躍しました。
多くのファンを持ちながらもタイタニックの沈没に端を発する船舶の安全に関する国際条約(SOLAS)の1974年改正により外洋クルーズサービスを継続するには多額の改修費が必要となり船会社はこの船の売却を決定します。
当時経済成長著しい日本のデベロッパーのコクド(国土開発)がリゾート地での浮かぶホテルとしての活用を前提に購入に名乗りを挙げ、傘下の伊豆箱根鉄道に浮かぶホテルの運用を任せ「スカンジナビア」と改名した船を沼津湾に係船。ホテルサービスを開始、豪華でシックな船内内装から好評を博しました。
船内のレストラン「北欧」は北欧料理を中心とし宿泊客のみならず立ち寄り観光客も利用できたことでこれまた人気のスポットに。
しかしバブル経済の崩壊とともにレジャー産業の低迷が続くと1999年にホテルサービスを終了してレストランのみ営業を継続していましたが2005年に親会社コクドが船の売却を表明、レストラン事業も惜しまれつつ終了しました。
その後は地元の保存への嘆願や売却交渉の難航もあって2006年まで現状での係留状態が続きましたが生まれ故郷であるスウェーデンで再度ホテル/レストラン船としての余生を送ることが決まり転売が決定。
70年もの船齢と長期の湾内係留により外洋航行できるか疑問(船体喫水下の鋼板厚みが数ミリまでに腐食しているとのデータから)と反対意見もでましたが、上海での改修をめざし同年8月31日係留桟橋を離れタグボートで曳航されていきました。
残念ながら地元の危惧が的中し、翌9月1日に船体に浸水が始まり傾き始めたためすぐに近くの入り江に緊急退避したものの浸水が止まらず、現地入り江での着底を避けるために再び沖合に引き出され、和歌山県沖70mの海底に調度品とともに沈没しました。
その後ダイバーたちの状況確認調査でスカンジナビアは綺麗に海底に着底しておりその時の水中写真等もインターネットに載りました。
永らく日本で愛された船ゆえに日本に残りたかったのかもしれませんね。
このモデルについて
Albatros(AL) 社の1/1250スケールダイキャストモデルです。
この船もデッキがタンで塗装済み。船首の金飾りも再現されています。
白亜の船ゆえにあまり手を加えるところがありません(就航当時は錨まで真っ白でした)。
2本のマストに細いヤード(横木)を0.5㎜の真鍮線で再現したくらいです。
後姿
船首
船橋部
SS SHALOM
シャローム
イスラエルのZIM Lineが1964年に就航させたS.S. Shalom:シャローム。
2万5000t 級の船ですが当時としては均整の取れたスタイリッシュなデザインを持った白亜の客船でした。それもそのはずで造成所はあのSS France(フランス)を建造したChantiers de l’ Atrantique。
ただイスラエル船としての活躍期間は3年と短く、次のオペレーターのドイツGerman Atlantic LineのHanseatic、Home LineのDoricとして記憶されている方も多いのではないでしょうか?
主機関の蒸気タービンを船体後部にのせ、スリムなダブルファンネルを後部に設置する形を含め、その姿は#4展示室にて展示中のHolland America Line のS.S. Rotterdamを彷彿させますね。
数々のオペレーターを渡り歩いた本船も1995年からはバハマで係船され、幾つかの復活話が持ち上がりながらも結局2001年にインドのクラップヤードに売却されインドに回航中に船体に浸水が始まり、結局南アフリカのセントフランシス岬沖で沈没してしまいました。
このモデルについて
モデルはHanzaの1/1250で個人の方から譲り受けた(写真1)。新品での入手は難しい一品と思いますが最近オークションでHanseatic時代のものが出ていたのを見かけました。
船体舷側上部のの窓は前回のQE2と異なりすべて凹モールドで表現されていますので同じように黒塗装。デッキの塗り分け塗装が施されているですがやはり塗り分けが雑で被りも多く、修正が必須です。
ただモールドは良く、デッキプランによる両舷側の窓配置の非対称(Rainbow Deck)なところもきちんと再現されています。
小粒ですがまとまりのある良いモデルです。
前の保有者の方の
オリジナル状態
改修後全景
デッキ俯瞰
後姿
MS Royal Odyssey
ロイアルオデッセイ
本船の前身は当展示室でご紹介済みのイスラエルのZIM LineのShalomです。1981年にギリシャのRoyal Cruise Lineに転売された時にご覧の様に1本ファンネルに換装されました。
後に同社に加わる同名船2番船はRoyal Viking Lineから移籍したRoyal Viking Seaが前身です。
このキットについて
HANSAの1/1250スケールのダイキャストモデルです。
デッキ等は若干の塗装被りが散見されますので水性塗料で修正しましたが比較的綺麗に塗装されています。
まず、写真の如く船体の喫水下の赤と一本線のブルーラインが歪んでいる部分がありましたのでこれも修正しました。喫水線はマスキングの上に水性塗料で修正し、ブルーの一本線は0.5mmのアートラインを上から貼り付けてあります。
この船体のホワイトの塗膜はラッカー系シンナーに耐性がありませんでしたので墨入れは鉛筆と水性ペンで適材適所の処理をしています。
ラインゆがみ
修正後の船体
修正後の後姿
修正後の船首
修正後の船体後部
MS Kungshorm
クングスホルム
スウェーデンも歴史にのこる豪華客船を何隻も世に送り出した国のひとつですがその一隻が今回ご紹介する
MS Kungushorm Ⅲ:クングスホルム。今回紹介するのは同名を引き継いだ三代目の船です。
1953年にSwedish-American Line(SAL)が大西洋定期航路とクルーズの両オペレーションをこなせる2万トン級(21120総t)の豪華客船として就航させました。
1953年11月24日処女航海から1965年までSALの花形ライナーとして活躍しましたがドイツの北ロイド社(1970年からはハパグロイドに社名変更)に移籍し、同社の同名船の3代目となるEuropa(Ⅲ)として1981年まで活躍。
Europeという船名は国籍、軍用船も含め多くの船の名前として使用されており、一部混乱した資料もあるようですが、ここでは北ロイド社の客船に付けられた歴代数として記載しています。
最後はあのコスタクルーズに移籍し、Columbus C:コロンブスCとして4年間クルーズサービスを提供しています。
入手モデルはコスタのColumbus C時代を再現したもので本来ならイタリア船で展示するべきですがここは海洋王国のスウェーデンに敬意を表して.....と。
「あれ、そういえばまだドックの奥でひっそりと改修を待っているEuropaが係船してなかったか?」とだいぶ以前に入手したEuropa時代を再現したモデルがあったことを急に思い出しました。
巻頭写真の左奥が今だ手つかずのEuropa、手前が今回のColumbus Cです。
Europaは北ロイド時代のシックな黒と白の船体色姿のまま。
後のハバクロイド時代にはColumbusの船体に引かれた緑の一本ラインはそのままにファンネルのコスタのCマークがロイドのオレンジファンネル、ロイドマークに変わっただけのもの。コスタは外見的にはファンネルの塗装を変えただけということ?
両モデルからもわかりますが本船の第一ファンネルはデザイン上のダミーであることがわかります。
そうだEuropaの船体を純白に塗装し直してKungshormにするのもいいですね
尚、余談ですがイギリスの客船展示室で最近アップしましたP&Oクルーズのビクトリアの前身であるクングスホルムは同名船としてはこの船の後継船で4代目になります(ややこしい...)。
このモデルについて
両船ともCMKR社の1/1250スケールのダイキャスト製で塗装だけが異なっているとみてよいでしょう。このモデルもマスト類や船窓の彫り等そこそこ良い出来なのですがデッキの塗装は皆無でした。ファンネルとライフボート内部のみ黄色で塗装されたあっさりとしたものです。
そこでColumbus Cでは
1)船窓類の墨入れ
2)デッキの追加塗装
3)船体のイタリアンライン譲りのグリーンラインを
等追加しました。
Columbus C
Columbus C
2隻揃い踏み
EUROPE Ⅱ
EUROPE Ⅱ
MS Stockholm
ストックホルム
Swedish America Lineが1946年に竣工させた貨客船、ストックホルム 1万2165総t。
この船は1956年7月25日夜半のイタリアラインの豪華客船アンドレアドリアとの衝突事故で有名となりました。
濃霧の中、アンドレアドリア(1号館3番展示室:イタリアの客船コーナーで展示中)の右舷船腹に正面から衝突したストックホルムはその船首を押潰した様に大きく損壊したものの強固な船体構造と防水隔壁により浸水・沈没を免れ、出航したばかりのNY港になんとか自力航行で帰港できました。
一方のアンドレアドリアは船員による必死の排水作業の努力も空しく、11時間後に東沿岸沖に沈没してしまいます。その後の海事審判ではストックホルム側に過失があったとされました。このとき現場に急行して救助に活躍したのが当時のフレンチラインのフラッグシップ、イル・ド・フランスでした。
このストックホルムは北欧の海氷域を航行することを前提として頑丈に造られた船でしたので幾つもの船会社に転籍し使用されてきました。
1993年にはアンドレアドリアの地元イタリアに転売されて大改造を受け、貨客船からフルクルーズ船Italia1として再デビュー。その後もクルーズ船として幾つものオーナー/オペレーターの下で船名を換えながら現役をつづけ、現在(2021年)も最古参クルーズ船Astoriaとしてサービスを継続しています。
このモデルについて
アルバトロスの1/1250スケールのダイキャストモデルです。
両舷側窓の表現が少し強めな嫌いもありますがデッキ上のディテールは良く出来ています。
これもまだデッキの塗装をしないと.......
船首から
船尾から
船首部
船体中央部
船尾部
TS Lensowjet(Marienburg)
ドイツのSeedienst Ostpreußenが1939年10月に当時同国最大の貨客船として建造したMarieenburugマリエンベルグ:6200総tがその前身です。
スチームタービンエレクトリック駆動2軸のこの船は当時分割されていた東プロイセンとドイツ本国、ノルウェーやフィンランドを結ぶバルト海航路に就航するため船体には耐氷性能が付与されていました。
姉妹船には若干船容が異なりますが1935年に就航した姉に当たるTunnenburg:タンネンベルグがあります。
タンネンベルグ同様に船腹には乗船客の車を積み込むための大きなハッチが設けられ、その純白の船体にはSeedienst Ostpreußenと大きく社名が描かれていました。
しかし第二次世界大戦の拡大で船の完成は遅延し、終戦後そのまま戦時賠償としてソ連の所有物になってしまいます。
未完成だった船はソ連で大改修を受け、一等60名、二等188名、三等294名の本格的な豪華客船に改装されてLensowjetと改名、1955年に黒海スチームシップの手で本格的なサービスを開始します。モデルはその当時のものです。
1980年に廃船スクラップとなっています。
このモデルについて
Sedinaの1/1250スケールダイキャストモデルです。
Marienburgとしてもリリースされていました。
小さいながら結構よくできているモデルで、ブリッジとプロムナードデッキ後部の開口部にのみ追加で墨入れしてあります。
船首から
船尾から
船首部
船体後部
MS Oslofiord
オスロフィヨルド
Norwegian America Lineが定期航路/クルーズ併用船として1949年に就航させたオスロフィヨルド 1万6844総トンです。 造船所はNetherlands Shipbuilding Company。
造船所は異なりますが5Star+の名誉をほしいままにしたNALのSagafjordやVistafjordの原型船とも言えるでしょう。
20年間ノルウェージャンで活躍した後、約2年間はGreek Lineに転籍し、船体色はそのままに船首にエンブレムが描かれました。
次いで1969年COSTAに移って名前もFulviaと改名しています。
残念ながらその1年後の1970年7月19日にエンジンルームで爆発事故が発生し、船内へと延焼。翌20日に沈没してしまいました。
このモデルについて
CMKR社製の1/1250スケールのダイキャストモデルです。
モデルとしての出来は上等の部類ですがデッキ塗装はなし。マスト、ファンネルとグレーの船体NALカラーのみでした。そのキャビンハウスのホワイトとの塗り分けラインが微妙に上下に曲がりくねっていましたので先ずこのラインを修正。
それでもなぜか間が抜けてると思いきや、原因は喫水線下が塗り分けられおらずグレー一色だったことに気付きました。
そこで喫水下のレッドに白帯を追加。これでなんとかNALの船体に見えるでしょうか?
次いでデッキをカラー印刷のポストカード等から判断してタンに。またタン一色ですと単調になるかなと思い一部を少し肌色系にしています。
ファンネルの3色帯は本来もう少し水平に描かれているのですがこれは見て見ぬ振りを........。
最後はデッキ附器類の塗装とブリッジ上の前部にレーダー等を追加して完成としました。
オリジナル
改修後
オリジナルのブリッジ
改修後のブリッジ
塗り分けラインの歪み
改修後の船体中央部
エンブレムを描けば....
船尾からの俯瞰
SS Nordland
この船は1930年にノルウェーのBornholm Service がBornholm(Ⅱ)として竣工させた1808総トン、乗客数170人の小型の客船です。
1940年に同国Coastal Express Serviceに売られてRagnvald Jarlとなり、1956年にさらにHarald Jarlと改名されましたが
さらにその6ヶ月後にドイツのLubeck Line AGに転売されて大改修を受けて今回のNordlandに。470名の乗客に35台の車を積んでドイツとノルウェーの定期航路に従事しますが1959年からはクルーズサービス船に転身。1970年にスペインでスクラップになっています。
このモデルについて
モデルはアルバトロスの1/1250スケールのダイキャスト製。
小さいながらデッキやハウス、マストにファンネル/ファンネルマーク、ライフボートカバーと綺麗に塗装がなされています。
オリジナルモデル・船首から
オリジナルモデル・船首から
デッキを俯瞰で
Prince BaudouinⅡ
1933年にベルギーのJohn Cockerill Companyの鉄工所で同国のBelgian State Railways向けに建造された客船です。
3050総tの中型船ですがCockerill/Sulzer社製の2ストローク・ユニフロー型(12シリンダー)ディーゼルエンジン2基を搭載。1800名の乗客を乗せて最高速24ノットを出せたと言われています。
姉妹船にはPrins Albelt(Ⅱ)とPrince Philippeの2隻が造られています。
1934年の公試時にエンジントラブルを起こし再度修理に戻されますが改修後にOstend-Dover間の定期運行を開始。その後大戦開始までは幾つかの航路に回されながら活躍しました。
開戦後は英国のサザンプトンに移動して英国軍船として燃料や魚雷輸送船兵員輸送船に徴用され終戦後の1945年に極東航路向客船としての再改装を施され3120総tに。
しかしながら結局再びOstend -Dover間での運行に戻され、1947年11月にエンジンルームで火災が発生。何とかDoverに辿り着いたもののそのまま永らく係船状態に。
最後は復帰もならず1967年故郷ベルギーの地でスクラップになりました。
このモデルについて
メルカトールの1/1250スケールのダイキャストモデル。
小粒ながら非常に出来の良いダイキャストモデルです。
デッキ上の附器類、フォア&ミズンマストのヤードに加え、船首・船尾の小さなフラッグポールまでついています。
少しはみ出しのあった船体側面の塗り分けラインとライフボートの側面塗装を修整した位です。
船体後部より
船首部
船尾部
デッキ俯瞰
RMS Empress of India
エンプレス・オブ・インディア
Canadian Pacific Railway最初の汽船として北太平洋航路に投入された3姉妹船の一番船であるエンプレスオブインディア5900総tです。
建造はNaval Construction & Armament(現Vickers Armstrong)
1890年に起工、1891年2月に竣工後処女航海を実施。同年4月には姉妹船のジャパンが、7月にチャイナが竣工して三姉妹船の揃い踏みとなり、その優雅な白亜の船体から「白い皇女達:White Empresses」との愛称を得ています。
外観は写真の如くクリッパータイプの船首、細長い船体に三本マスト、2本の高いファンネルを載せ、船尾はカウンタースターン。三段膨張レシプロ2基を搭載し16.5ノットの速力が出せました。
一等120名、二等50名に600名のステアレジの3クラス制の船内は当時としては豪華なもので両舷のプロムナードデッキも広々とした開放的なスペースになっていました。
その後1915年に船はインドのMaharajya of Gwaliorに売却され病院船に改装されLoyaltyと改名しますが1919年にScindia Steam Navigationに転売され1923年にボンベイでスクラップになりました。
このモデルについて
Rhenaniaの1/1250スケールダイキャストモデルです。
Shop購入なのでまさかお店で塗り直したということはないでしょうが入手したオリジナルモデルは黒の船体に白のキャビンハウスの出で立ちでおよそEmpress of Indeiaには見えません。
まずは船体の塗り直しからです。
残念ながら白黒写真しかなかったのでキャビン側面の色はブラウンとしました。
船首のバウスプリットも折損してましたので真鍮ロッドで付け替えしています。
オリジナルのまま
改修版を船尾から見て
RMS Empress of Japan
エンプレス・オブ・ジャパン
1929年Canadian Pacific Railway(CP)がカナダ西海岸と極東を結ぶ定期航路客船用としてFairfield Steamship 社で建造したエンプレスオブジャパン 2万6032総tです。
同社の同名船としては2代目です。
1929年末に完成した船は翌年3月の洋上公試運転に成功、カナダのバンクーバーと日本の横浜、神戸を経由して上海、香港を結ぶ極東航路サービスにつきます。
当時としては北太平洋航路最大の客船で豪華な内装を誇り、蒸気タービン2基(34000馬力)のエンジンを搭載して1260名の乗船客を乗せ21ノット(最高速度23ノット)の高速性能で北米ー極東を結ぶ航路で10年間活躍しました。
しかしながら1940年になると第二次世界大戦の拡大によって船は戦時用にリフィットされ、また敵性国の名を冠するのはふさわしくないと1942年にEmpress of Scotlandに改名されます。
大戦を生き抜いたこの船は終戦後に再度近代化改修を受け、伝統的な4階級制のキャビンからクルーズサービス兼用の2クラス制に改造されています。
1955年に船はHAL(Holand America Line)に売船され、原型を留めないほどの船体内外の大改修を受け、名前もHANSEATICとなりますがこれはまた後日の話として。
Empress of Japan
完成・就役 1929/30.
処女航海 1930.03.26
総t数 26032総t
船体長205m
船体幅25.5m
このキットについて
Len・Jordanの1/1250スケールレジンキット。
完成品を個人所有者の方から譲っていただいたものです。とても丁寧な仕上がりでしたが以下の点につき、さらに修正しました。
1)船楼前と船尾クレーン片方づつが紛失していましたので真鍮線で作り直しました。
2)ブリッジのブラウン塗装の塗分けパターンがScotland時代のものでした。
この時には3本のファンネルの両側にCPの社旗が描かれていたはずです。
Japan時代に修正しました。
3)船窓の墨入れがはみ出しているところが多々ありましたのでこれを修正しました。
改修後の後姿
改修後の船首部
改修前の船首部
改修後の船体中央部
改修前の船体
改修後の船尾部
SS SMOLENSK/RION
スモレンスク
英国タイン川沿いの両岸にはキュナードのカルパチアやモーリタニアを送り出したSwan Hunter造船所を含め、数多くのShip Builderが集まっています。
その中のプバーン地区に集まる造船所群の一つ、R&W Hawthorn,Leslie & Co.Ltd.においてRussian Volunteer Fleet(RVF)向けの客船として1901年に建造されたのがこの「SS Smolensk:スモレンスク」7270総tです。
まあ、あまりにマイナーな客船ですので資料も少なく、なんでこんな船が?とお思いでしょう。
一等10名、二等は設定されずに三等36名、そしてステアレジ1557名を収容するこの船は4基の三段膨張レシプロエンジン2軸推進で20ノットを出せた鉄鋼船だったとか。
そんな高速鉄鋼船としての性能に目をつけたのか日露開戦を控えた1904年にロシア海軍に移管され準クルーザーに改修され「Rion:ライオン」と改名。
しかし終戦の翌年には再びRVFに戻され客船に戻りますが1913年に再びロシア海軍の練習船として徴用されます。その後も数度民間客船、軍の輸送船として使用された後1922年にスクラップになりました。
このモデルについて
Albatrosの1/1250スケールメタルモデルです。
到着時にBox内に緩衝材として詰められていたコットンの影響かマスト等の一部がゆがみ、塗装のハゲも見られましたのでまずはこれらを修復。
よく見ると船体前・後部のウェルデッキ両舷側に2門ずつ計4門(前後デッキで8門)の大砲のようなモールドがつけられています。また船首、船尾デッキにも小ぶりで短砲身のものが左右に1門づづ(合計4門)据付けられているようです。
当時の数少ない船影と比較しても船楼部が客船として就航した時の白色ではなく全面焦げ茶色であることにも気づき、どうもこのモデルは補助巡洋艦Rion改装時のモデルではないかと思われます。
ここは客船就航時の姿に戻そうかと.......。
船首ウェルデッキの大砲?
船尾ウェルデッキにも.......
客船就航時への改修
まずは船楼部とファンネル、マストの塗装を修正するために個々マスキングを施します。
各部の塗装を修正後に各デッキに取り付けらえた砲門を精密ニッパーで切除。
切除跡を軽く叩いて平滑化した後にこげ茶でレタッチしてます。
まずは一通りの修正を終え完成に。
まあこんな感じで客船時代の姿に戻してみました。