航空機モデルの展示室


米国ジェット爆撃機のコーナー

North American XB-70 Valkyrie (バルキリー)

時代の用兵思想の変化によりその実用化の道を絶たれた超音速大型爆撃機

「NORTH AMERICAN XB-70 VARKYRIE:バルキリー」。

熱狂的なファンも多い機体です(館長も早速名乗りを挙げます)。

8発の超大型爆撃機にして米国戦略空軍SACの切り札として現在も重用されている先輩爆撃機Boeing B-52(A-H)は航続距離、積載兵器種やその積載量では当時右に出るものありませんでしたが(ナショナルジオグラフィックの世界の爆撃機Top10の第1位の機体ですから:積載量はB-1Bが勝ります)その速度性能には物足りなさがありました。

特に当時の迎撃ミサイル技術の飛躍的進歩により実戦においてB-52の速度では生存率の低下は避けられず、それは致命的とされ後継機には超音速巡航能力を持たすことが必要とされました。

まず実用化されたCONVAIR B-58 ハスラーはマッハ2級のダッシュ能力を誇こりましたがその速度性能を実現するため、とにかく軽量コンパクトな機体設計を採用しました(B-58は後で取り上げる予定です)。
この設計が災いして短い航続距離と搭載兵器の制限といった不満がSACでは募っていき生産数はB-52の後継機とはお世辞にも言えない小数機で打ち切られてしまいます。
1954年、SACの最高司令官カーチス・ル・メイの肝いりで再度の超音速大型爆撃機の計画仕様(WS-110)が出され、また並行して原子力爆撃機の要求(WS-125))も出されます。
前者の計画WS-110は紆余屈折の末にBoeingとNorth Americanの2案が残り、1957年に最終的にNorth American案(バルキリー/ワルキューレ)が採用されます。

後者は航空機用原子力エンジンが試作されたものの実用化にはほど遠く、またあまりに危険すぎると現在に至っても実用化されていません。

鉄腕アトムやサンダーバードの世界はまだまだ夢のまた夢なのです。

さてバルキリーは北欧神話で戦い敗れた勇猛な戦士の魂を神々の住む天上界ワルハラに連れていく女神戦士の名前です。
敵のレーダー/ミサイル防空網を突破するためにこの大型爆撃機には大陸間無給油航続性能と高高度でのマッハ3級のダッシュ能力が必須とされ、当時の技術的ハードルは相当高いものでした。余談になりますがこのバルキリーの迎撃用に開発されたのが当時のソ連のインターセプター、あのベレンコ中佐の日本への亡命事件で有名になったMIG25であることは有名な話です。
当時のNACA(後のNASA)が提唱したコンプレッションリフト理論:超音速飛行時に機体下部から発生する衝撃波にうまく機体を乗せて揚力を稼ぐ波乗り手法で航続距離の方は何とかメドがたったものの、それでも機体重量の低減と強度の両立に加えてマッハ3での巡航時の空力加熱への対応策等、North Americanには一から開発しなければならない新たな技術が山積みでした。
軽量耐熱性ステンレスハニカムパネルの製法やチタン構造材の多様による真空溶接技術の確立等、このプロジェクトで実現した革新的技術群によって出来上がった機体は女戦士というよりも優雅な白鳥の如く、美しくかつ繊細(というよりひ弱)なお姫様のような航空機であったことは否めません。

当時自身の重さの純金価格よりも高価な機体と言われたバルキリー。
膨らむ開発費と軍部内で台頭するミサイル至上主義に破れ、当時3機の組み立て計画が進行していたものの、結局実機としては2機だけ試作製造とされ、それも次世代大型SST(超音速旅客機)のデータ収集という筋書きにかえられてしまいました(今から思えば的を得た選択だったのかも)。

2号機は搭載エンジンのメーカーであるGEの要望で実施されたPR映画の撮影中に編隊を組んでいたF-104との空中接触事故で墜落喪失。その2号機の残骸といわれる破片類を幾つか持ってますので後ほどご紹介します。

一号機は米国エドワーズ空軍基地の空軍博物館で静かな余生を送っています。

 

North American XB-70

1/72 Scale  AMT/ERTL   

バルキリーとしては日東科学教材(だったような......)から1/300の小スケール、幻と言われたオーロラの1/100スケールに加えてリンドバーグから1/180半端スケールのインジェクションキットが出ておりその他コントレール社から1/144と1/72のバキュームものが出ていました。

オ-ロラ品以外はスケールモデルとはお世辞にもいえるものではなく、またバキュームキットも初心者がそう簡単に手を出せるものではありませんでした。

そのような中でスケールキットの決定版としてAMT/ERTL社から出たのが写真のキットです。通常版と数限定のリミテッド版がだされましたが、キット内容は同じで限定版にはポスターと当時のテストパイロットのサインが記載されたカードにネームプレートが入っていました。

パッケージ写真は限定版です。

メーカーが活動を停止したためにその後永らく手に入らなくなっていましたが最近イタレリから再販されています。

 

キット内容

 

 


North American XB-70

1/72 Scale ITALERI  

前述のAMT/ERTLのキットが手に入らなくなって久しかったころITALERIから同じ1/72のインジェクションキットが新発売されるとのアナウンスがモデル雑誌に載りました。

どうもAMTの金型を使った再販版だろうとの情報も伝えられました。

中身を確認しましたら確かに同じ金型でしたがパーツに施されたモールド類が新しく繊細になっていました。多分金型の傷みを修正・改修したのでしょう。

値段も手ごろになって日本ではタミヤから販売されました。

サードパーティーからメタルの降着装置パーツも出ています。むろんAMT版でも使用可能です。

 

ITALERI vs AMT

ITALERI vs AMT

メタルギアパーツ

 

 

参考資料


XB-70 VALKYRIE 

1/100 Scale  AURORA 

リリース当時唯一のインジェクションのスケールモデルとされたキットですが箱絵からもわかるようにAURORAの悪い癖というか実機デビューを待たずにキット化したために全体のフォルムは良しとしても細部が想像で造形されています。

エアインテイク先端下の前脚格納部の形状とか箱絵の垂直尾翼にあるラダーは実機にはなく、本機の双垂直尾翼はともにほぼ全遊動式(フライングテール方式)です。

この箱絵版は1970年に再販されたもので、今でもたまにネットオークションで出品されているのを見かけます。

初版はXB-70が発進したシーンを描いた少し稚拙な絵柄でしたがその後、組立説明図に載っている戦略空軍基地のアラート(緊急発進)場面を描いたものに変りました。

面白いのはこの70年の再販版にはBoxと組立て説明書の絵が違う物(Auroraのロゴまでちがう)が封入されていることです。

残念ながら高速巡航時での横安定性とコンプレッションリフトの補完を兼ねた本機の大きな特徴である主翼の翼端折り曲げ式可変翼機構は再現されておらず水平位置で一体化されています。

 

組立説明図

キット内容

 


2015.11.17追記

これがアラート発進の箱絵版です。AuroraのBox絵の中でもトップクラスの出来です。

でもまだ垂直尾翼後方部にラダーが。

購入してあったのを全く忘れてました。右上隅のシールは現地のリテーラーがはったシールです。

          

 

 

 

XB-70 VALKYRIE   1/144 Scale

ANIGRAND CRAFTWORK  

これは無発泡ウレタン製レジンキャストのキットです。

小さい欠けや気泡跡が若干ありますのでこれらの修正も含め、少し手がかかるキットです。

しかし同社のこのHugeーBird Collectionシリーズには同一スケールのおまけキットが3機体入っており、そのセレクションもマニア向けの珍しい機種が多くてお得感があります。

このキットにはL-17、XF-108とデルタ翼のX-15Cが入っており特にデルタ翼に改変されたX-15CはXB-70の背中に載せて発進プラットフォームとした姿が再現できるようにそのパイロンまで入っています。

届いたキットにはL-17が2つ入っていてX-15Cが見当たりません。メーカーに連絡しようかと思いましたが思いのほかにXF-108の出来がよく、これだけでもいいかと溜飲を下げた次第です。

 

キット内容

 

 

おまけキット

おまけキット


XB-70A-1

1/144  Scale Cutting Edge 

このキットもレジンキットですがマルチマテリアル仕様で出来の良いキットでした。

ただ翼端折り曲げ機構は再現されておらず駐機状態の標準位置で固定されています。

 ジュエリークラスの(仕上げ?モールド?)メタルパーツ同梱と書かれているのはご愛敬。

 

キット内容

 

 


B-70 BOMBER 

1/180 Scale   LINDBERG  

このキットもオーロラ同様に試作実機がお披露目される前にキット化されたもので垂直尾翼のラダーが装備されていたり翼端折り曲げ機構等は省略されています。

唯一の特徴といえば前脚や主脚の格納ギミックがあることでしょう。

忘れた頃に再販されるキットです。

 

 

XB-70 VALKYRIE

1/300 Scale             Sunny  

このキットは今ではAcademyから販売されていますが当時は300円位だったはずです。

1/300の小スケールですがランディングギアも再現され、翼端折り曲げ機構の簡易再現も可能です。

機首の可変バイザー機構は再現されておらず巡航状態(バイザーがアップ)のままです。

私の記憶違い、調査不足かもしれませんがこのキットはさらにさかのぼると日東科学教材から出ていたキットではないかと思うのですが............。

 

 

 

2015.04.14 追記

5年ぶりにロフトのプラモデル倉庫に上がりキット在庫の確認をしました。

サニー版は7個在庫してました。同じ場所に組立て済みのものも保管してましたので、併せてアップします。

小さいながら雰囲気はバッチリのキットです。

 

XB-70 VALKYRIE

1/72  Scale Contrail   

1/48  Scale ID Models 

これらはバキュームフォームキットです。

写真1の/72のコントレール版は無謀にも自身初のバキュームモデルとして手を出してしまったものです。

大学生協の書籍コーナーにあった模型専門雑誌Model Artに掲載されていた深川の模型屋さんの広告に「入荷しました」との小さな文字を目にしてすぐに電話を入れて確認後に取り置きをお願いしたものです。

腕の無さと初めてのバキュームモデルゆえに出来は惨憺たるものでした。

1/48の方は新宿三丁目のアコードビルにYellow Submarineさんが入居していたころに見つけたものです。

畳一畳ほどの大きな段ボールケースに3枚のバキュームパーツシートと薄紙に印刷された組立説明図が1枚。もう誰も作りたいとは思わないでしょうが、このキットをご存知ない方も多いのではないかと思いご紹介した次第です。

 

ID Models 1/48

 

 

箱記載の会社名

 

 


HB-70 Valkyrie  1/48 Scale  HPH

2016年にHPH ModelsからリリースされたXB-70。1/48スケールでの怒濤の大型レジンキットです。

箱の大きさも920mmx700mm。

十数年前に同じスケールのバキュームキットを入手していましたがこれでそれもゴミになってしまいました....... 。

写真は箱に貼られているバルキリーの運命に止めを刺した2号機による悲劇の編隊飛行時のポスター。

このときの2機の機体残骸と言われているものを9号館にて展示中です。

 

 

XB-70 Valkyrie 

1/200 Scale    Dragon

彩色済みのほぼ完成品キット。

翼端可変翼、キャノピーにランディングギアは各々巡航モードと離着陸モード(亜音速モード)に差し替えする方式です。

お手軽キットですがスタイルも完璧。

NASA/USAFのSST開発用基礎デ-タのリサーチジョイントプロジェクトとしてNASAに貸与されたAV-2号機も別キットとしてリリースされています。

 サイバーホビー品とは同じキットながら取り扱い経路が違うものなのでしょうか?

 

NORTH AMERICAN XB-70 

1/96 Scale    U.S. AIR  FORCE MUSEUM      

これはエドワード空軍基地にある航空博物館で販売されているペ-パ-モデルです。

 

 

 

 

 

 

 


2023.06.26

XB-70 Valkyrie 

1/144 Scale   Armory Models

久しぶりのXB-70の新作キットです。

メ-カ-は各種航空機モデル用のレジン製ディテールアップタイヤパーツを取り揃えているARMORY Model。

このメーカーはAFVに加え幾つかのプロペラ機や現用ジェット機のキットもリリースしてますが今回の大型爆撃機のキットリリースには力が入っているようです。

キットの売りは選択式ながらヒンジ部以降の可変外翼部が0度、25度と65度の3パターンで再現できること。

設計上のみで試作機には実装されていなかったインレットとエンジン部を挟まれる形で兵倉と内部に大型スタンドオフミサイルが一機載せられるようになっていることでしょう。この兵装部のモデル化は同機のキット上初めてでは?と思います。

またミサイルのフィン類やエンジンブレード等がブラスエッチングパーツで、J-91エンジンのアフターバーナー部は2基一組の隔壁を含め3Dプリント出力パーツです。タミヤ・イタレリの1/72スケールキット用に別途リリースされていたブラスエッチングパーツによるエンジンノズル部の再現にそこそこ匹敵する出来です。

 

<資料類>

月刊誌AIR WRLD 1982.02号の特集を皮切りにこれまで幾つかの洋書や和書を集めてきました。それらを表紙のみですが写真展示します。

Northrop Flying Wing

XB-35 

1/72 Scale   AMT/ERTL    

ノースロップ社の礎を築いた航空技師ジャック・ノースロップ(John Knudsen "Jack" Northrop)は若いころから航空機は翼だけで飛べるはずだという信念を抱き、全翼機の開発に身を捧げました。

まずは小型グライダーの試作からスタートして無動力滑空テストを繰り返してその利点を確信すると次には動力搭載飛行、そしてさらなるスケールアップと一歩一歩研究を進めながら幾つもの試作全翼機を通常形態の航空機製造による正規事業の利益から捻出して自費製作していました。

一方で当時の陸軍航空隊は長距離大型爆撃機の構想(10・10ボマー計画の走り)を温めており、その実現策としてノースロップが研究中であった全翼機の飛行特性に注目します。

航空隊は小型全翼ロケット迎撃機計画やそのジェット換装型試作機のXP-79、ミサイルの原型とも言えるロケット/パルスジェット有翼爆弾JB-1/10の試作発注によって無尾翼機の技術レベルは認知していました。

そしてついに陸軍はノースロップの大型全翼爆撃機XB-35計画について調査をした結果、試作を承認します。

ノースロップとしては願ったり叶ったりのチャンスでしたがあまりの大型機であるため、まず1/3スケールの試作機N-9Mの試作と実証飛行を行い、二重反転プロペラ搭載の8発推進式大型全翼爆撃機の初飛行を1946年6月に成功させました。

大型機ながら無尾翼機ゆえの駐機スペース効率の高さや飛行特性も思った以上に良好で依頼主の航空隊も注目する機体でしたが要求された速度と航続距離には不満が残るものでした。

次期戦略爆撃機にはコンベアのXB-36の採用が濃厚になる中、XB-35は推進力の要であるエンジン(2機のエンジンで2つの二重反転プロペラを駆動させる機構)に問題が多発し、ノースロップ社はその改善策として単発・単プロペラ方式への改造も実施しましたが逆に異常振動やさらなる性能低下を招き、結局開発は中止されてしまいます。

ノースロップと陸軍航空隊(1947年に空軍に改組)は制作途中の2機のXB-35のエンジンを当時やっと実用化レベルに達したジェットエンジンに換装した8発ジェット爆撃機XB-49として改修し、1947年10月に再度試験飛行させます。

余談ですがこのXB-49は当時のSF映画「宇宙戦争」(トム・クルーズがこの映画のリメイク版に主演しましたね)において地球に襲来した火星人に水爆を投下すべく飛び立つシーンで出演した機体です。実際水爆投下能力はありませんでしたが高空でバンクしながら大きな銀色の翼をきらめかす本機の姿は今見ても未来的なフォルムの機体でした。

XB-49は速度性能が大幅に改善し大陸横断速度記録を樹立します。また飛行特性も機敏になりましたが反面機体コントロールがさらに難しくなる問題も抱えてしまいます。

試作2号機が飛行中に実施した失速試験中に突然スピン降下に入ってしまい、そのままリカバリー出来ずに5名の搭乗員とともにエマロック乾湖に墜落するという大事故を起こしてしまいます。それでも陸軍はB-49採用に執念を示しますが急速に空軍内での風向きが変り、開発にピリオドが打たれてしまいました。

エドワード空軍基地は事故機に搭乗していたパイロットのグレン・エドワード大尉を偲んで旧マロック(ミューロック)空軍基地から改名されたものです。

当時はフライバイワイヤ、フライトコントロールコンピュータなどの発想もない時代でした。意図的に飛行特性を不安定にして得られた機動性に対応するため、これら技術を駆使して操縦性を補完することは現代ではごく当たり前となっています。

時代が早すぎたともいえますね。

このXB-49(その後偵察機RB-49も試作提案されましたが)で完全に終わったかに見えたノースロップの夢は現代テクノロジーの粋を集めた高価なステルス爆撃機B-2として再度花開きましたが残念ながらノースロップ自身はその勇姿を見る事なく亡くなっています。

キットはAMTの1/72スケールのキット(初版)です。その後にXB-49もリリースされています。

簡易インジェクションのN-9MA 1/72スケールのキットも見付かりましたのでアップしておきます。

 

全翼機XB-35のパーツ類


実機作成前のスケールダウン試作機N-9MA

 

 


YB-49 1/72Scale ITALERI

これがB-35 Flying Wingのジェット版YB-49です。

AMT/ERTL版ではなく最近再販されたITALERI版です。

金型は同じはずですがXB-70同様に金型の部分改修程度はされているのか結構パーツがシャープです。

これこそB-2のルーツでした。

 

Parts



Boxサイド絵のコクピット完成写真


Boeing B-47 StratoJET

BOEING B-47 Revell

高翼式35度後退翼に繰り返しの応力試験から導き出した最適な位置・間隔で(まだコンピューターシミュレーションなどない時代でしたから)ジェットエンジンをポッド式に吊下げ、細長い翼の変形を押さえ込む画期的なエンジン配置方式を初めて採用した正式ジェット戦略爆撃機B-47です。

このエンジンポッドによる分散搭載方式はB-747やA-380等の大型旅客機にも踏襲されているボーイングの特許技術でした。

USAFはこの機体に行きつくまでに幾つものジェット爆撃機を試作してきました。その結果として行き着いたこの爆撃機もその後幾つもの派生型改良機が作られ、総計2000機以上も生産され、次のB-52へとバトンを繋ぐまでの一時代を築いた機体です。

このモデルは久しぶりにドイツレベルから再販されたものですが、日本のプラモ黎明期にマルサンがコピーしたキットとしても有名です。

 

 

Boeing B-52 StratoFORTRESS

B-52D 1/100 Scale  TAMIYA 

B-52は1951年の試作A型の初飛行以来、約65年の永きに渡り米国戦略空軍(SAC)の現役爆撃機の座にとどまり続けています。米国軍用機の中でも最長の運用期間を未だに更新している機体であり、この間に実用タイプのB型からH型まで暫時新バージョンの機体に改修やリプレースされ、また電子機器やセンサーの更新や構造寿命延長施策をとられてきました。

それまでのターボジェット8発から燃費効率のよいターボファンエンジンに変更された最終H型の就航から数えても53年が経過しており、今後さらに延命改修を施されながら運用維持を予定されているス-パ-ご長寿機です。
それ故にこのB-52ほど核爆弾をも含めた多種多様な兵器運用を託されてきた機体もないでしょう。
冷戦時のB~F型においては通常投下型核爆弾常時運用を、その後第二世代となるG、H型からは各種のスタンドオフミサイル(GAM-77ハウンドドッグやGAM-87スカイボルト:開発中止、SRAM)の運用化計画・改修を経てALCM巡航ミサイル母機へ。その間に第一世代の旧型B-52は通常爆弾の運用機体へと改修されベトナム戦争にも投入されました。
まずキットはTAMIYAの1/100スケール B-52Dの通常弾爆撃改造型を。箱絵の如く機首にジャイアント・ボイス競技会への参加の証であるラベンダーパンサーが描かれた機体です。

 

 

B-52G

1/200 Scale   DRAGON

次のキットはDRAGONの1/200スケール B-52G。

機首に電子光学監視装置:AN/ASQ-151 EVAシステムやAN/AALE-117ECMを装備した改修後のVer.です。翼下の大型パイロンにはBOEING AGM-86B ALCMが6発(左右で計12発)携帯していますが胴体爆弾倉には8発搭載可能となっています。

 

 

B-52H  

1/144 Scale    Crown

搭載兵器のバリエーションも多く、ハウンドドックにスカイボルトやクエイルデコイが入っていたCrownの1/144スケールキット。写真はその組立説明図。

高揚力装置も下げ位置で再現できた結構出来の良いキットでした。完成品がどこかの段ボールに入っているはずなんですが。

 

 

B-52(H) 

1/320 Scale   Sanny

最後はサニーのビックプレーンシリーズ。型式の記載はありませんがタ-ボファンエンジン搭載機なのでH型です。

サニー活動停止後、このシリーズの金型はアカデミーや幾つかのメ-カ-を渡り歩いたようですがこのB-52は再販されていないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Convair B-58 Hustler

CONVAIR B-58 Hustler:ハスラー

1/96 Scale   Revell

このB-58は米戦略空軍が手にした世界初のマッハ2級の超音速ジェット爆撃機でした。

B-36レシプロ巨人爆撃機に続き完全なジェット化を目指して進空させた稀代の名機B-52はその巡航速度が亜音速ということで作戦時における敵の迎撃に対して生存性に問題が残ると真剣に考えられた時期がありました。

当時の米空軍は冷戦時の核抑止力の切り札としては高高度を超音速で飛行し、目的地の上空から核攻撃を仕掛けるHi-Hi-Hi-ミッションを行える機体こそが必要と考えて設計要求SAB/SAR-51(WS-102)をボーイングとコンベア社に。この要求に対するコンベアの回答がXB-58であり、ボ-イングはXB-59案を提出しました。

ボ-イングは先の英国V-Bomber「Valiant」に似た両翼内根元に2基づつまとめてマウントする形態の4発機案でした(唯一Anigrandのレジンキットが今でも手に入ります)。

対するコンベア-は徹底的に軽量・コンパクト化した細身の胴体にさらにエリアル-ルまで採用したお得意のデルタ翼との組み合わせを選定(同社はデルタ翼の超音速迎撃機F-102の実用化におけるトラブルでだいぶ懲りてたましたから.......)。

そのデルタ翼下に強力なGE J-79アフターバーナー付タ-ボジェット4基を大型エンジンポット式として左右2発づつ吊り下げ、あのシャ-プな機体に仕上げてきました。

B-58は要求仕様通りに順調にマッハ2+を叩きだし、ボーイング案を計画段階で葬り去ったのですが、その機体のコンパクトさゆえに兵装は胴体内部に収納できず、すべて外部搭載方式を採用。胴体中央にミッションに応じた特注の兵装ポッドを吊り下げる方式としました。

1956年11月の初飛行から数回の飛行でマッハ2級の韋駄天性能を証明した本機はその速度性能を如何なく発揮して数々の速度記録を塗り替えていきました。そこまでは良かったのですが前述のコンパクトな機体設計と外部兵装ポッドシステムが後で大きな問題となってしまいます。

機体燃料搭載量から航続距離の短さ(しかし当時は空中給油がすでに可能であったためこれはなんとか凌げました)と兵器運用性の低さはどうにもならず、結局本機は中途半端な機体との烙印を押されて正式運用開始後10年も満たずして全機退役となってしまいます(いやいや一芸に秀でたこの機体、当館は買ってるんですが)。

米戦略空軍(SAC)は次のマッハ3級の巨人爆撃機B-70の開発に移っていきます。

 

このB-58は冷戦時代の核戦争勃発の危険性と核抑止力の愚かしさをテーマとする米国映画「Failsafe・Point」(邦題「未知への飛行」1964年公開)でモスクワに核爆弾を落とすべく超音速侵攻する最新爆撃機として登場。

当時実際に欧米で実施されていた核攻撃滞空パトロ-ル(Chrome Dome Mission)中のB-58 一個編隊が些細なシステムエラ-からソ連本土への核攻撃命令を受けてしまい、パイロットたちは忠実にその命令を実行に移すべく進路を変更。目標コードはモスクワ。

この異変に気づいた米国空軍司令部は必死に命令を解除しようとしますが侵攻中のB-58にはソ連側のジャミングで無線が伝わりません。

そうこうするうちにB-58は正式に攻撃命令を解除できないデッドライン「Failsafe・Point(ほんとにこう呼ぶのか?)」を通過してしまいます。この時点では大統領命令をもってしても命令は中止できない規定に。

米国の超音速戦闘機編隊がB-58爆撃部隊を撃墜すべくその後を追うのですが韋駄天B-58には追いつけずに次々と脱落(墜落)していきます。

あとはこのB-58編隊をソ連に打ち落としてもらうしかないと米大統領はソ連の首脳とホットラインで連絡を取り合うのですが…….といったストーリー。公開後だいぶ時が経ってからの再上映を小さな洋画館のスクリ-ンで見ました(もちろんパンフレットも買いました。特別展示にて映画パンフを展示中です)。DVDもリリ-スされているのでどうぞご覧あれ。

ただし劇中の(B-58)爆撃機コクピットは実機と異なりB-52のような広々としたものになっているのはご愛敬。

 

そう言えば、前回のB-52も「博士の異常な愛情」という似たようなプロットの米国映画(こちらの方が有名かも)に出てきましたね。

写真は20年以上前に造ったレベルのB-58で段ボール箱に入っているのを見つけました。デカールの変色が時の流れを........

プロポーションと操縦室の周り出来(コクピット内部の機体壁面にまでモールドがあります)が良いキットでした。

 

 

B-58 

1/72 Scale       ITALERI

こちらは上記レベルのキットを拡大したようなキットです。

写真のように胴体下面の兵装ポッドが複数セットされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

B-58A 

1/144 Scale      ACADEMY

こちらは1/144スケール版。

B-58は機首にタンデム式に配置された3席の操縦士、副操縦士と爆撃手のコンパートメントとB-70同様のカプセル式イジェクションシートが有名です。

どのスケールのキットもこの点は当機の売りとして上手く再現していますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

B-58  

1/128 Scale  LINDBERG

半端スケールながらリンドバーグならではのギミック満載のキットです。4つのエンジンポッドにはJ-79らしきターボジェットエンジンを個々内蔵。主脚、前脚は格納ギミック搭載、方向舵等の動翼類も可動です。

まあそんな意味でスケールものを少し逸脱したキットですが、このキットはサンダーバード等で有名なITCプロダクションのプロップモデル造りには欠かせないキットとしても有名でした。まずこのキットのジェットエンジンをパイロンごとあちこちに付ければ「はい、新型戦闘機といった具合に.......。

 

 

General Dynamics FB-111

General Dynamics FB-111

1/72 Scale   Hasagawa

世界初の実用VG翼戦闘機として世に出たF-111(3G展示室にて解説)が本来の戦闘機としてよりも未完の海軍向けB型仕様機に計画したファルコン長距離空対空ミサイル格納ベイを爆弾倉に変更し、地形追従レーダーと連動させたVG翼機動による低空超音速侵攻能力を買われて戦闘爆撃機としてその存在価値を見出された機体でした。

米国の超音速戦略爆撃機B-1開発計画が時の政権下で何度も方向転換された時代に爆撃機としては小型な機体にもかかわらずB-1B爆撃機の本格的運用までその任務を任された機体でした。

着陸態勢なのか今まさにテクオフしたところか、VG翼全開位置にしてエアブレーキを兼ねる主脚格納扉とともに大きく左右に張り出した主脚に二輪型前脚とこの機体が海軍の空母運用機をも目指していたことが良くわかるアングルの箱絵です。

 

キット内容

 



ソビエト・ロシアのジェット爆撃機のコーナー

旧ソビエトのジェット爆撃機についてはその開発経緯や存在そのものが秘密のベールに包まれていましたがゴルバチョフ元書記長のグラスノスチ(情報公開)政策後、少しづつ明らかになってきています。

モニノ航空博物館の公開や試作機・計画案等の情報が書籍化されて、ベールも剥がされつつありますね。

当時西側に脅威を与えたそんな試作機や研究プロジェクト、現有機をご紹介しましょう。

 

 

Sukhoi Su-100/T-4  COTKA/SOTKA

米空軍マッハ3級巨人爆撃機XB-70に対抗すべくソ連がスホーイ設計局に開発を命じた超音速爆撃機。実機は現在モニノ航空博物館に展示されている一機のみが試作されたとされています。明らかにXB-70と似たコンセプトの機体であり、当時もその存在はささやかれていましたが実際にロールアウト・飛行したとは考えられていませんでした。

実際は10回程度の飛行試験をこなし、マッハ3の設計速度も出せたとか........

結局米国のXB-70計画が中止となったことで同様な運用形態を目指したこの開発プロジェクトも放棄されました。

 

T-4 A-Model 1/72スケ-ル

まさにバルキリードフスキーと呼ばれても致し方ないデザインですが可変翼機構は搭載せず、機首下げ機構の方式や一枚垂直尾翼に加えパワープラントは4エンジンと異なる部分も多い機体です。

製造技術にも独自の新技術を盛り込み、単なるまねっこではないことがわかってきました。

キットはレジンキットかと思うほど重く、その重量を支えるためにボディーはFRP仕様になっています。

このキットはあまり日本では流通しなかったのではと思います。

 

キット内容

 

 


Sukhoi T-4 

1/144 Scale ANIGRAND CRAFTWORK 

これはつい最近ANIGRANDからリリースされた1/144のレジンキット。

機首下げ機構は再現されています。

恒例のおまけキットは珍品3種。

 

 

キットパーツ類

 

 

おまけ解説

おまけキット3種


MYASISHCHYEV M-50/52

1/144 Scale   Anigrand

ミヤシチェフM50/52試作爆撃機

1961年のツシノで開催されたソ連航空ショーの空をフライパスした姿がソ連国民のみならず西側への初お披露目であったこの爆撃機は当時4発のエンジンのうち、2基が原子力エンジンではないかと噂され、当時の西側に大きなボマーショックを与えました。結局原子力エンジン動力説は間違いでしたし、ツシノ航空ショーでのお披露目自体がソ連のプロパガンダでした。この術策は大当たりし当時本当にこの爆撃機が大西洋を越えて米国内まで大陸間爆撃に来るかもしれない(その能力がある)と恐怖を与えたといわれています。当時のAURORAのキットもそんな時代背景から早速リリースされました。

おまけキットはボリューム感満点のSukhoi SU-15、MIKOYAN Ye-152A、Lavocjkin La-250の三機種です。

 

パーツ類

 

 

おまけキット解説

おまけキット3種


TUPOLEV Tu-22 BLINDER

1/72 スケール   ITALERI    

垂直尾翼根元に2基のターボジェットエンジンをマウントした特異な形態のこの超音速爆撃機も1961年のソ連国内航空ショーでお披露目されました。

永く実戦配備されていましたが航続距離が短く生産数は少なかったとされています。

一部中東諸国にも供与されました。特異なデザイン故に人気もあり古くはバキュームフォームも出ていましたがこのITALERIのキットが取りあえず当機の決定打キットと思います。

 

 

 

 

 

 

TUPOLEV TU-26(Tu-22M)Back FireB

1/144 Scale          SUNNY 

米ソ戦略核兵器削減交渉(SALT/2)でこのソ連の新鋭爆撃機を戦略爆撃機とするか否かでもめたことは有名です。

写真では機首に給油プローブが角のようについていますがソ連がこの機体は中距離爆撃機(インターコンチネンタルボマーではない)と主張し、この給油プローブを外すことに合意することで削減対象核兵器にカウントしないと米ソで合意した曰くつきの機体でした。

またキットの名称がTu-26と当時の西側の名称であることも懐かしいですね。

当時のソ連はこれはTu-22の改良型で22Mが正しい呼称と公言しました。

当時の西側諸国はこの主張を信じませんでしたが現在はソ連の主張がそれなりに嘘ではなかったことが判明しています。

お騒がせソ連機体Top10を選ぶとすれば先のT-50とともに選ばれるのではないでしょうか。

この機体の1/72スケールもどこかに仕舞ってあるはずなので出てきましたらご紹介しましょう。

 

2015.04.14 追記

今やキット倉庫と化しているロフトに久しぶりにあがったところここに1/72 Tu22M/26のキットが保管されていました。今は亡きESCI:エッシー製品でした。

 


Sukhoi T-4MS

1/144 Scale        Anigrand 

この機体の開発経緯を知ったのは「SOVIET SECRET PROJECTS Bombers since1945」という洋書でした。

ぺージをめくりながら、あらあらB-58とXB-70を合わせた様な機体とかこれじゃまさにXB-70そのものやといったコンセプト図や模型が載っているのですが(とても楽しい本です)第11章のBack Fire & Black Jackのパートからは俄然「おおっー、これは!」というコンセプト機体の習作モデルや図面が幾つか出てきます。

TU-160 Black JackはB-1のパクリと良く言われていますがこのTU-160に行き着くまでの開発過程には現実路線案ともう一つの冒険路線とでもいうべき近未来的な開発軸があったことが明記されていました。

先に取り挙げたT-4 Stokaの延長上となるT-4Mという可変後退翼採用した巨人機計画を経たもう一つの派生計画T-4MSです。

究極のブレンディッドウイングボディーコンセプトの機体内に大量の兵器を搭載し、さらに可変後退翼を採用して全域の速度性能と航続距離も稼ぐ.......。

大型民間機への転用も十分考えられるこの爆撃機が実現していたら米国もさぞや驚いたことでしょう。さすがスホーイ設計局、このころから一皮むけたねと思っていましたらAnigrandからこのキットが出ました。まあ計画のみの仮想機体、考えるだけなら何でもできるといわれてしまえばそれまでなんですが。

どうですこのデザイン。ステルス性もあると思うんですが。その流れか否かおまけのキットはすべてステルス繋がりの機体です。

Mig-37は置いといてもロシアステルス最新鋭機T-50はこの時期としては貴重なキットでした。

 

パーツ内容

 

 

パーツ(機体裏

おまけキットの開設

おまけキット3種


Tupolev TU-160 Black Jack ブラックジャック

その存在が米国の軍事偵察衛星の写真から明らかになったソ連最後の戦略爆撃機ブラックジャック。

明らかにB-1に対抗して開発されたことは明白でしょう。

先のスホーイ設計局のT-4Mという機体もデザインコンセプト的には似た機体でした。

機体はB-1よりも一回り大きく、またアフターバーナー付の強力ターボファンエンジン(MK-32M)4発でB-1の2倍の速度を叩き出します。米国が調達コストの削減からB-1Aの改良簡易型のB-1Bランサーを導入したのに対してソ連はそのままB-1Aのスペックで就航させたといったところでしょうか。

可変後退翼の機構は手動3段階ですがB-1よりも複雑で最後退角度による高速巡航の際には後退翼の根元後部が立ち上がり整流装置となるといった非常にソ連らしい機構が付与されています。

 

Easten Express  1/288スケール版

 

 

UKRINA 1/72スケール版



英国爆撃機のコーナー

英国爆撃機といえば 3機の「V-Bombers」です。

今はすべて退役してしまいましたが1950年東西冷戦の真っ只中、英国は航空技術を結集した巨人爆撃機3姉妹「V-Bombers」を大空に進空させました。

長女のVickers「 Valiant:ヴァリアント」、次女のAvro 「Vulcan:バルカン」、そして末娘のHndley-Page 「Victor:ビクタ-」です。

3機に共通するのは5名の搭乗員(正副パイロット、二名の航法士、電子通信士)を乗せ、Rolls-Royce:ロールスロイスのジェットエンジン4発を左右翼内に2基ずつまとめてマウントし、有事には15分以内に熱核兵器を抱えて緊急発進してソビエト領空へ侵攻可能な機体ということでした。

退役前のVulcanやVictorは迷彩パタ-ンが施されていましたが当初は米国マッハ3級の巨人爆撃機バルキリ-のような全面白一色の綺麗な巨人爆撃機でした。綺麗といえば聞こえはいいのですがこれは有事の際、仮想敵国ソビエト領内に核爆弾を落とした際に自機の機体ダメ-ジを最小にするための光熱反射措置でした。 また冷戦時には15分以内の緊急即時対応体制(QRA)を常に維持するために4機体制で各地に分散配置され、常時パイロットが搭乗待機するアラ-ト体制が堅持されていました。Vulcanなどはボタン一つで2分以内に全4発のエンジンが完全ミリタリ-パワ-を出力できるようになっており、4分以内に離陸可能でした。これでソ連の核攻撃前に機体は安全な高空域に脱出し、報復侵攻核攻撃を決行するという核抑止力になっていたわけです。この辺りがジェリ-アンダ-ソンのキャプテンスカーレットや謎の円盤UFOの設定の下地になっていたわけですね。

 

Valiant バリアント

1951年5月18日に初飛行した長女Valiantはおとなしいオーソドックスな形態を有する巨人爆撃機でした。

英国初の大型熱核爆弾「Blue Danube::青きドナウ」を爆弾倉に一発搭載し、投下実験まで実施しました(まさに箱絵です)が機体構造上の欠陥で3姉妹中、最も早くに退役(1965)してしまいました。

 

まずキットはMACH2からリリースされた「Valiant」1/72スケ-ルの簡易インジェクションキット。マッハ2の製品故に全体にバリ等は多いですがBlue Danube熱核爆弾とキャリア-がセットされています。

基本的にはバリエーションは無く、部隊選択および迷彩塗装の有無のみ。

もう一つが古いカデール社のキットです。

デスクトップモデルですがそれなりにValiantには見えます。

 

KADERのデスクトップキット




Vulcan バルカン

次女Vulcan(実際は三女のVictorと処女飛行2番乗りを目指し、熾烈な開発競争をしていたらしい)は大型のデルタ翼機で初飛行は1952年8月30日。

当初はシンプルな三角翼機でしたが、高速飛行時に翼端振動(バフェッティング)問題が露呈し、翼竜のような変形デルタ翼に改良されました。

Valiant同様にBlue-Danube核爆弾を搭載しましたが、その後Avroが開発した短距離スタンドオフ大型核ミサイル「Blue Steel:ブル-スチール」を一発爆弾倉に半埋め込み式で搭載可能に改造されています。

さらに米国が開発中だった長距離核ミサイル「Skybolt:スカイボルト」を6発搭載すべく実験改修がなされましたが結局米国が当ミサイル開発を途中放棄したため、英国の核戦略の中心は潜水艦発射弾道ミサイル「ポラリス」にシフトしてしまい、3姉妹はそれぞれ通常兵器運用仕様に戻されて空中給油機や管制機へと改造されていきました。

このVulcanのコクピット部である機首上部の半球ド-ム状の膨らみはもう少し洗練された形状にできなかったかと思っていたのですが実はこの部分は全面キャノピ-として射出投棄される構造で、その後正副パイロットともマ-チンベイカ-社の射出座席で緊急脱出するシステムだったそうな。

さて残りの三名はどの様に脱出するかって?

彼らは機体下部の搭乗ハッチをあけて飛び降りて脱出するしかなく、当時から緊急時にはこの3名は助からないだろうといわれていた節もあります(怖い話ですね)。

追加で3名分の射出座席を搭載する改造案もあったらしいのですが最後までこのままだった様です。

しかしながらこのバルカンの上昇性能と機動性は当時の大型機としては群を抜く性能で、当時のソ連戦闘機では追いつけなかったとも言われています。

 

キットはAirfixからのベストキットとも言うべき「Valcun」1/72スケ-ル。

フォ-クランド紛争終結25周年記念として親会社のハンブロ-ルのペイントセットをつけて再販されたものです。

流石にMACHに比べてパ-ツの精度は抜群です。

こちらにはBlue Steel核ミサイルが付いています。全部で4ver.の選択式。

 

 

Victor ビクター

三女のビクタ-は独特の三日月翼を備えた独特のフォルムをもつ大型爆撃機です。

最後に登場しただけあって速度性能や使い勝手は最高の評価を受けていました。初飛行は1952年12月24日のクリスマスイブ。

最初からAvroのブル-スチ-ル核ミサイルを搭載して登場しましたが、バルカン同様に英国核戦略の中核からはずれ、空中給油機として永らく重宝されました。

フォークランド戦争勝利の一因としてこのビクターと先のバルカンのコンビによる超長距離爆撃計画の遂行があげられているくらいです。

 

キットはRevellからリリ-スされた「Victor」1/72スケ-ルキットです。

前述したフォ-クランド紛争時に空中給油機の大編隊を組んでパズルのような給油リレ-を行いながらたった一機のバルカンをアセンション島からフォークランドのポートトスタンリーまで侵攻させた影の立役者、K-MkⅡ空中給油機タイプ。

残念ながらB-Typeの選択肢はありません。

もう一つはカデールの古いキットです。

 

KADERのキット

 

 



フランス爆撃機のコーナー

AMD MIRAGE ⅣA 1/72Scale    Heller

1960年代のフランスの空の核抑止力をになったミラージュⅣ。

当時開発中だったデルタ翼ジェット戦闘機の名機ミラージュⅢの拡大版としてダッソーが設計開発した試作機01型の試験結果を経てさらに大型化されて実用配備されたA型のモデルです。

同じ時期に実用化されたデルタ翼超音速ジェット爆撃機コンベアーB-58と同じような高高度超音速侵攻核爆撃を任務とし最大速度Mac2.2を誇った本機は66機が生産配備されました。

しかしながらソ連の対空防衛能力の著しい発達とともに高高度超音速侵攻爆撃は陳腐化してしまい、米国のB-58/XB-70と同じようにその存在意義が失われてしまいます。

ダッソーは低空超音速侵攻用機体としてN型を開発しA型の改修を行いましたが航続力や機動性等に制約のある機体ゆえにさらにスタンドオフ巡航ミサイルが発射可能となったP型へと移行していきました。

1990年代半ばにはフランス空軍発のマルチロール機となったミラージュ2000N型型戦闘爆撃機に核抑止力の座を譲り引退しています。

 

同じくHellerの1/48スケールもどこかにあるはずなんですが..............

 

 


軍用輸送機

LOCKHEED KC-130F 

FAT ALBERT

1/1200 Scale   HASEGAWA

1951年の空軍仕様要求によりロッキードが開発指名され1954年に初飛行させた中型戦術輸送機のベストセラーC-130 Hercules。世界最高の輸送機との評判も高く日本の自衛隊を含め世界で68カ国で採用され未だ現役の機体です。2300機以上生産され、その派生型も数多くその中には民間機L-100型も。

キットは米海軍の曲芸飛行隊Blue Angelsのサポート機体として利用されている初代のKC-130F(空中給油型)です。

箱絵は機体後部側面に装着した補助ロケット推進装置JETOを吹かしてもの緊急離陸というブルーエンジェルス展示飛行前によく実施された前座飛行の姿でしょう。

二代目のTC-130、三代目C-130Tと伝統的な行事となっていましたがこのJETOの在庫が枯渇し、行われなくなってしまったファットアルバートの勇姿です。

 

 

LOCKHEED C-141A STARLIFTER

1/200 Scale   DRAGON

このC-141A輸送機は兵器ペイロード25-30t(兵員130名)を積んで6500キロを飛行し、目的地上空で兵装・空挺隊の空中投下が可能とする1960年の空軍の新型輸送機の仕様設計要求によりロッキードが指名を受け、1963年12月に初飛行させた機体です。

当初は空軍の中核輸送機として高い評価もされましたが次第に細身の機体設計による搭載可能なペイロード類の制限と積載量不足に軍部内でも不満が出始め、超大型輸送機開発計画C-Xを生むきっかけになっています。とは言え空軍の主力輸送機C-130の代替計画も頓挫し、このC-130とC-X(C-5)の間を埋める機体としてこのC-141Aも胴体ストレッチ化し積載量を30%増加、空中給油装置を増設して航続距離も増加させたC-141Bへと近代化改修されていきましたが、空軍の次世代戦術輸送機C-17GROBEMASTERⅢにバトンタッチしていきながら2006年5月に全機退役しています。

 

 

LOCKHEED C-5A GALAXY  

1/480 Scale    Sunny

米国空軍の中核輸送機C-141Aのペイロード量不足と積載寸法制限からの脱却を目指し、当時としては世界最大となる新輸送機開発がスタート。

ロッキード案が採用され開発が進みますが当初の計画重量から大幅に超過する事がほぼ確実となったロッキードは空軍に開発仕様変更を願い出ますが空軍はこれを拒否。困ったロッキードは主翼桁を極限まで削って対応し、初飛行にはこぎ着けましたがこの主翼桁の無謀ともいえるスリム化が裏目に出て完成後に強度不足が露呈。

空軍は就航中の全機に100tまでの積載量制限をしながらロッキードに主翼の改修補強と設計変更改善命令をだします。

全面的な主翼構造の改設計によりC-5Bとして生まれ変わり、最大積載量122tを誇る超大型戦術輸送機として空軍による米国軍の世界的な緊急展開作戦に参加し、大きな活躍をしてきました。

現在はさらにエンジン、アビオニクス等の大幅な近代化改修と延命措置が計られたC-5Mスーパーギャラクシーとして生まれ変わっています。

キットはサニーのビックプレーンシリーズ。飛行形態のみのモデルですがフォルムはシリーズ共通のなかなか良いものでした。

オオタキの1/200スケールをその昔に造った記憶があります。

 

 

McDonnell Douglas(Boeing )C-17A LOBEMASTER Ⅲ 

1/144 Scale  Revell

Lockheed C-5並の50-100tの積載量と不整地滑走路条件で1000m以内の短距離離着陸性能を持つ次世代戦術輸送機(C-X)として開発されたC-17。

このコンセプトは1970年半ばに実施された空軍のC-130輸送機に変わる次世代中型戦術輸送機開発にまで遡ることができるでしょう。

当時ボーイングはエンジン2基を翼上面に配置して排気流をコアンダ効果で翼と後縁フラップ上面をなぞるように下方流に変えるUSB方式(日本ではC-1輸送機を改造して試験された飛鳥で有名です)でSTOL性能を引き出すYC-14を開発。

マクドネルダグラスは翼下面にパイロン方式で4発のエンジンをマウントして翼後縁の大面積フラップに排気を吹きつけて下方流に変換するEBF方式のYC-15を試作し、米空軍は徹底的に両者を比較検討しました。

両機共にSTOL性能は大きく評価されましたがともに製造コストが高いという欠点からどちらも採用されずに計画は中止。

しかし先にご紹介したC-141Aとの交代時期が近付き、1980年に入ると空軍は再びC-X計画を国内メーカーに打診し、その審査結果でYC-15の流れをくむこのC-17が1982年に正式に空軍とマクドネルダグラスの間で開発の調印がなされました。

その後開発の遅れや開発費の高騰等ゴタゴタも続ききましたが完成したC-17AはC-5Aの最大積載量の約6~7割にも相当する77tの積載量で不整地1000m以内の離着陸を可能とするなどその評価は高く、最強の戦車とされたエイブラムスMA-1を積載できる輸送機として米空軍のみならずNATOを含む欧州や中東でも採用されています。

 

キットはレベルの1/144スケール品です。

機体内部のインテリアを精密に再現しながら機体外皮への整形歪を無くすため、機体内壁を別パーツ化して2重張り合わせ方式とするなど当時その意気込みが大きく評価され、すぐ在庫僅少から完売状態になったほどです。

Model Art紙にもこのキットのレビュー記事が載りました。

Anigrandからも同じ1/144スケールと巨大な1/72スケールのレジンキットが販売されましたがコクピット窓やエンジンカウル部の正面形状等が実機と異なるといった欠点の指摘もあります。