X-プレーン、試作機キット展示室

米国のX-プレーンシリーズや試作・計画のみで量産されなかったお気に入りの機体をキットコレクションで展示していきます。

この展示コーナーでのX-プレ-ンは初期のテーマ「速度記録へのチャレンジ」と「宇宙航空機」に焦点を当てた機体キット展示に絞り、当初ここで展示していた機体の一部は、可変翼機、垂直離着陸機、ステルス機等を別途テーマ別にした3G展示室に移動させました。

またXプレーンの系譜のみ適時簡単に記載しました。

 


世界の試作機

試作機には当時の最高性能を目指し開発されながら、まったく期待外れだった機体(駄作機と呼ぶ方も...)が多かったのも事実ですが、当時の政治・経済的な理由から計画のみで終わった機体や実際に期待以上の優秀な性能を証明しながら結局日の目を見なかった魅力あふれる機体もありました。

このスペースではこんな研究機や試作・計画機をピックアップしました。

また特別な機体性能を追求したVTOL機、STEALTH機はコーナーとしてこちらで紹介しています。

尚、爆撃機関連の機体は3Aの展示室にて展示しています。

 

SNCASO GRIFFON Ⅱ

1/48 Scale  FONDERIE MINIATURE

ラムジェットエンジン推進の有人機として世界速度記録を樹立したフランスの実験機、SNCAN(Nord:ノール)1500 Griffon(グリフォン)Ⅱ。

当時ジェットと言えばターボジェットエンジンのことを指しましたが、まずこのタ-ボジェットエンジンの動作原理をおきらくモードで簡単に説明しておきましょう。まず空気取入口の前部に設置した多段タービン(扇風機の羽の様な。皆さんジャンボとか乗るとキ-ンと高音を発しながらエンジン内で回ってるのが見えるあれです)で徐々に空気を圧縮していき10~30倍位に圧縮され高温になった時点で燃料を噴霧・混合すると爆発的な燃焼が発生し、その後方に噴出する高速排気ガスの反作用でエンジン(機体)は前進します。加えてその排気ダクト中に設置した数段の最終タ-ビンをその排気ガスのエネルギ-で回して同軸機構でさきの前部の空気圧縮用タ-ビンをも回しているわけです。
アフタ-バ-ナ-とはその燃焼排気ガス中に再度燃料を噴霧して残っている酸素と再度燃焼反応させて追加パワ-を発生させる仕組みですが燃料を馬鹿食いするので燃費重視の旅客機にはまず搭載されません(SST、コンコルドの様な高速巡航を目的とする機体では必須でした)。
ちなみに近年のジェットエンジンは前段の低速圧縮ブレ-ド群を大口径にしてその圧縮空気の何割かを直接後方にバイパス噴出し、そのまま推進力として使用するタ-ボファンエンジンが主流です。現在の旅客機のエンジンが大小2つの円筒形(エンジンカウル/カバー)パ-トに分かれているように見えるのはこのためです。

しかし頭のいい人がいるもので、別の動力でエンジンそのものを加速して取込み空気の速度を増加させながら漏斗のように空気取り入れ口(インレット)の断面積を連続的にうまく変化するように設計してやれば、圧縮タ-ビンのような複雑な機械機構は要らず、流入空気は自ら高圧縮(ラム)していくのでそこに燃料をぶち込めば...と考えました。

とにかく機構はシンプルで高出力が得られ、かつ故障知らずの夢の超音速機用エンジンと思われた時代がありました。
しかし問題は最初の加速をどうするか?ラムジェットを積んでもそれだけでは機体はいつまでも滑走路から動けないのです。
親機に背負われたり、吊り下げられて離陸・加速してもらい適当な時期に切り離してもらうとか、はたまたロケットエンジンを取付け離陸、加速するしかないわけです。

また直線的弾道飛行をするだけならいいのですが、高度やコ-スを頻繁に変えなければならない実用機ではインレット内のラム圧発生効率を制御・維持するのが厄介で、現在に至るまで純粋なラムジェットを実用エンジンとして使っているのはミサイルしかないのが実情です。

今回のノ-ルグリフォンはラムジェットのお腹にそれは小さいターボジェットエンジンを固定し、最初はこのエンジンを吹かして離陸・加速して次いでラムジェットに点火し、タ-ボジェットを切るというターボラムジェット方式を採用していました。

この機体が唯一ラムジェット有人機としての速度記録(1959年2月25日、マッハ2.2)を持つとされているのですが、えーとちと待てよ?その少し後に実用化されたSR-71(開発当初A-11,YF-12)搭載エンジンは確かにターボジェットですがマッハ3.2の高速巡航時にはラムジェットモ-ドに切り替わってその推力のほとんどをこのラムジェットでまかなっているはず。

なぜこれが栄冠を取っていないのでしょうか?ターボジェットとしての推力を完全に切っていないからラムジェットとしないわけか?また調べておきましょう。

現在ではスクラムジョットとか改良型のターボラムジェット等の全速度域において一つのエンジンながら速度域別に作動機構を変えるエンジンの研究も進んできました。決め手は軽量・高強度・高耐熱素材の開発実用化のようですね。

前説が長くなりました。

キットは他社では絶対にキット化しないであろう珍しい自国フランスの試作機群を主にリリ-スしているFONDERIE MINIATURE社の1/48インジェクションキット。エッチングパーツやメタルパーツ、レジンパーツも併用したマルチマテリアルキットです。

太いラムジェット本体(胴体)に操縦席と燃料タンクを内蔵した機首をせり出すように載せ、おまけにカナ-ドまでつけたラジカルな実機デザインを忠実に再現していてとてもGood。
お腹の中の小さなジェットエンジンも再現されています。

同社からは1/72スケ-ルのグリフォンも同時リリ-スされていました。

当時行きつけのお店ではどこも取り扱っていなかったので意を決して直接注文を決行。フランス語しか書いてなかったらどうしよう?あきらめるかとWebShopにアクセスしましたらちゃんと英語版ページもありました。1/72と併せ注文した古いお話です。
その他どこかメーカーかは忘れましたが海外のガレージキットが輸入されていました。箱絵はなんと手書きのイラストのコピーだった記憶があります。

1機しか作られなかった実験機のグリフォンは今でもフランスのル・ブルジェ航空博物館で実機を見ることができます。

 

プラパーツ

マルチマテリルパーツと

デカール

 

 

塗装説明

 


BAC TSR-2 1/48 Scale   Dynervector

英国の代表機としては当館館長のみならず熱烈なファンの多いBAC TSR-2を挙げましょう。
時は1964年9月27日、英国の航空技術力の粋を集めたマッハ2級最新鋭マルチロール機(攻撃・偵察)のプロトタイプがその純白の機体を空に浮かべることに成功しました。
当時世界第一級の性能を持ちながら膨れ上がる開発費と蔓延していた英国病、そして自国機より優れた機体の存在を容認できない米国からの圧力によるともうわさされた国策変更により初飛行の半年後には開発中止が決定され、生産ラインまでもが徹底的に潰されてしまいます。それでも実機は一機保護され(イギリス技術陣の意地か)今でもその雄姿を見ることができます。
この悲運の機体のキットは長らく大したものがリリースされず、コントレールの蒲鉾のようなバキュームキットが少数輸入されていたに過ぎなかったと記憶しています。
2002年に同様のバキュームキットながら一部ホワイトメタルパーツやレジンパーツを使った格段に出来の良いキットがDynavector Air Modelsから1/48スケールで限定発売されました。ファンの皆さんは飛びついたと思います。

キットは新宿3丁目のアコードビルにイエローサブマリンさんがまだ入店していた当時に予約購入したものです。

珍しいキットを多数そろえていてくれた良いお店だったんですけどね。

 

パーツシート1

 

パーツシート2


BAC TSR-2       1/72 Scale  AIRFIX

写真が当時キットを新規開発中との一報で世界中のモデルファンを騒がせたAirfixの1/72スケールインジェクションキット。

限定生産・予約販売ということでだいぶ争奪戦が過熱したキットでした。

生きていて良かったと思ったTSR-2ファンの方も多かったのではないでしょうか?現在でも同スケールとしてはこれがベストキットと言えるでしょう。
Airfixはこのキットのリリース後に突然倒産。最近その活動を再開してそのOnline-Shopの再販リストにこのキットが名を連ねたのを見た時はうれしい限りでした。ファインモールドさんからもピトー管のディテールアップパーツが発売されました。

時はめぐり数年前にアニメSTRATOS4とのコラボ商品として本キットがやっと再販。劇中で登場する耐隕石破壊迎撃機のキットとしてお腹にブルースティールスタンドオフ核ミサイルの様な隕石破壊用迎撃ミサイルを一発抱えた雄姿とコクピット内の馬乗り式の座席、キャノピーが新規に再現されています。

XB-70バルキリー超音速戦略爆撃機がZガンダムにもゲスト登場しましたがこのTSR-2もいかに熱烈なファンをもつ機体であるかの証明でしょう。

 

Box内コンテンツ

 

 

タイアップ再販商品


CMK:CZECH MASTER7S KITS Detail Up Parts

市販キットの改造用レジンパーツやエッチィングパーツを精力的にリリースしているチェコスロバキアのCMKからも数々のディテールアップパーツが出されました

基本的にキット自体の出来が良いためにオリジナルのままでも十分なのですがやはりお気に入り機体となるとあれやこれやと改造したくなりますね。

Webshopは英語対応も選択できますしカード決済でしたので直接注文しました。

 

TSR-2  1/48 Scale  AIRFIX

今回は当時予約してからなんと十ヶ月後にやっと手元に届いたAirfixの1/48 BAC TSR-2のご紹介です。
以前に販売された1/72スケールインジェクションキットは生産数が少なめで世界的に奪い合いの状況でした。加えて当時思わぬ入院(アチェットのTITANIC建造に2年間根を詰め過ぎたと噂され.........)から事前予約を逃し、その入手は困難を極めました(笑)。 
世間を騒がせたAirfixの突然の倒産後、活動を再開した際に登録しておいたAirfixのWebshopからメールで1/48スケールキットを開発中との情報が入り、即予約をいれたのが2008年の初春。ただし今回はAirfixのWebshopにては直接取り扱わず、各国のディーラーでの予約扱いとなると。
その後時は流れ、Coming SoonとのWebshop情報も「本当に出るのか?」と懐疑的になっていたのですが2009年の年開けにやっと本国で先行販売され、2月には日本に上陸とあいなりました。

キットは力が入ったとても良い出来で、約一年待たされた不満も吹っ飛ぶ程のものでした。コクピットの射出座席、インテークや脚周り、爆弾倉のモールドもとても良い出来です。

当時生産ラインにて完成間際であった機体6機分のシリアルNo.を含んだデカールがセットされているのも1/72スケールと同じです。

実機はXR219が英国コンフォード の空軍博物館(RAFM)に展示されています。

 

正規輸入品ゆえ国内流通価格は少し高めになってしまいましたが、「英国本国の通販ショップで入手するのもいいかもしれない。ユーロ・ポンド安だから送料を加算してもおつりが来る」とメモされたSNS日記が時代を感じさせます(笑)。

 

キットパーツ状況

 

 

デカール


CMK:CZECH MASTER7S KITS Detail Up Parts

この1/48スケールキットにも多くのディテールアップパーツが発売されました。

 

Original Parts V.S. CMK's Detail Up Parts

各写真右側のキットオリジナルのパーツ(少し青みがかった白のもの)と左のCMK社のレジンパーツ(少しクリームがかったもの)を幾つか比較しておきます。

ご参考までに。

<資料類>

TSR2の資料はAirfixのキットで火がついたのか最近になって幾つもの素晴らしい本が出ています。

自身がこの機体を知ったのが1978年の「航空情報」の特集記事でした。

ここまで優秀な機体がなぜ世に出なかったのか不思議でなりませんでした。

理不尽とも思われる計画中止と抹殺に近い幕引きに英国内では今でも言葉に出さないながらも当時の屈辱を忘れていない方が多くいると聞きます。

資料の中にはこのような気持ちを代弁するがごとく、スクラップになった試作機群が山積みになったヤードの写真が幾つも出ているものもあります。

TSR.2  1/144 Scale  Pitroad

TSR2のキットとしては後発となる1/144のスケールキット。それでも2010年リリースです。さらに遡ること、新宿三丁目にイエローサブマリンがお店を開いていたとき同じスケールのレジンキットがその3倍近い値段で棚に数箱並んでしました(名前は忘れました)。当時は前述のダイナベクターのバキュームキットがやっと手に入る時代。これを考えればこのキット大変お買い得に見えます。1/144スケールながらその造形も結構精密です。

この後にRAF攻撃機仕様(2011)、ストラトフォース仕様(2014)とデカールとウェッポンを替え、マイナーチェンジリリースされました。

最近ではコクピットウインドウのマスキングシートも販売されてます。

 

パーツ等内容

Amazon経由でプライスダウン版も追加.......

 

 


AVRO CANADA CF-105 ARROW

1/48 Scale   HOBBY CRAFT

英国代表としてTSR-2を出しましたので今回は館長お気に入りの流産機第2弾としてカナダの

「AVRO CANADA CF-105 Arrow」を。

1955~1965年の十年間はまさに流産機華やかなりし時期で、駄作機も数多くありましたが、当時の技術の粋を凝らしながら、開発コストの高騰といった経済的理由だけではなく、何が何でも一等賞は自国でなければ気がすまない気質のどこぞの政府・軍需産業の画策とその甘言にのった当該国の政治家達に握りつぶされていった(あくまで噂としておきましょう)悲劇の超音速試作機がカナダにもありました。英国BAC-TSR2の姉貴分とも言えるカナダのアブロアローです。
当時は冷戦時代の真っ只中、核爆弾を積んだ亡国爆撃機の飛来時にはアラートで10分以内にテイクオフ、マッハ2+(2.3)のダッシュで迎撃コースを矢の如く飛翔。搭載する最新鋭のアクティブホーミングミサイル・スパローでその目標を撃墜するのが任務でした。

広大なカナダの国土を守ることに専念する超音速大型迎撃機として計画・試作された本機でありましたがその開発過程はまさに茨の道で、カナダ航空技術人の意地なくしては実現しなかったでしょう。

搭載予定の英国製エンジンは開発半ばで中止に。自国で何とか完成させたのも束の間、今度はウエッポンシステムの要である米国製ミサイル「スパローⅡ」が「出来ないや」と通告を受け、結局お腹のウェッポンベイには何を積むことになったのやら?
その時代の頂点を行く機体能力を秘めながらも初飛行の11ヶ月後には政権交代した労働党によって計画は中止に。5機の完成試作機は徹底的に破壊され、カナダの航空技術力はその芽を完全に摘まれたのでありました。
何もネジ一本まで破壊しなくても......:その一部の残骸はカナダの航空博物館で見られるようです。
いやいや機体説明につい力が入ってしまいました。
写真はカナダのHOBBY CRAFT社からリリースされていた1/48と1/72スケールのインジェクションキット(最近1/48の方は再販されました)。
1/48の写真(カナダの山岳をバックに大空を駆け上がるARROWの図?)は金型全面改修後の再販キットであり、発売当初は1/72同様のおとなしいイラストでした。

こちらも収蔵庫のどこかにあるはずなのですが.............(めっけ)。

金型改修といわれても記憶では先のお腹のウエッポンベイ辺りの彫刻が心なしか良くなったようにしか見えないのですが。もう一度収蔵庫から両者を出して比較するか?判明しましたらまたご報告ということで。

 

現在までに発刊されている資料はまだ少なく数冊くらいと思います。

その一冊が写真のものです。

 

こちらは1/72スケール

資料本

 



US X-Planes

X-Planesとは航空宇宙技術分野における未知の課題や理論実証を目的として開発された試作航空(宇宙)機群を指します。

米航空宇宙局NASA(当初は前組織のNACA)が計画の主体となりそれに興味を示した軍がスポンサーとなって各航空機メーカに開発を命じるケースも多く、中には海軍が主体となったものもありました。

ここでは特にスピードをメインテーマとした歴代試作研究機を取り上げています。

その他の技術実証機やセンチュリーシリーズ等はそれぞれその技術革新テーマ機や戦闘機、爆撃機のコーナーに系譜的に展示していきます。

とはいえ純粋には分けられないのですが.......。

 

 

BELL X-1 1/72 Scale

1947.10.14に水平動力飛行にて音速の壁(Sound Barrier)を世界で初めて突破したと公式に認められたロケット動力研究機 。

当時のNACAが陸軍航空隊の援助の下、新参航空機メーカーのBellに開発を命じたこのロケット動力機は空軍パイロットのチャック・イエーガーにより世界初の音速を超えた有名な機体です。

まだまだジェットエンジンは黎明期。ジェットの単独動力で音速(マッハ1:秒速340m/sec 15℃/1気圧)を超えることができた時代ではありませんでした。

「音速の壁を超えた人間は生きて戻れない」という迷信の様な考えもまだ根強くはびこっていた時代です。1946年イギリス航空産業の立役者デハビラント卿の子息が操縦する超音速研究機デハビラントDH-108がテムズ川上空でのダイブ飛行にてマッハ1を超えたのもつかの間、そのまま川に激突した事件の衝撃が強かったのでしょう。

このBELL X-1は適切に設計された機体ならば音速の壁など存在しないということを証明しました。その後に機体はA型からE型へと改良が重ねられていきマッハ2.44まで記録しました。

キットはHobby Spot Uさんから出たキットと同じ金型でタミヤからリリースされた1/72スケールの同一キット2点です。機体内部構造が再現された小さい機体ながら良くできたキットでした。

Uさんのキットは数千円した記憶があるのですが、後に再販されたタミヤ版ではクリアーと成型色の機体2機分(Uさん版は一機分の半身だけクリアーパーツが付いていました)ついて1000円弱のお買い得キットです。

さすがにタミヤ、力技でもってきましたね。

 

ホビースポットUさん版



タミヤ版


Bell X-2 

1/72 Scale  MACH2

X-1で超音速を突破したUSAFとNASA(当時はNACA)はさらなる高高度・高速飛行性能を持つ機体の開発に目を向けます。

当時ドイツで開発された後退翼の実用化研究に着手していたベルの計画に注目し、軍とNASAは正式にX-2の名称を与えベルに2機試作機製造を認めます。

1950年11月に2号機が先に完成し、まず無動力滑空試験飛行に続き動力飛行(X-1同様にB-50空中母機の腹に抱えられて空中投機され、落下中にロケットに点火)に臨みましたが空中投機前の格納庫内でX-2は爆発してしまいます。母機は大きな損傷をおいましたが辛くも帰投。この事故でX-2のテストパイロットが死亡しています。

遅れて完成した1号機は順調に試験を重ね、速度記録をその都度更新していき、13回目のフライトで非公式ながらマッハ3.2の速度を記録したのもつかの間コントロールを失いリカバリー出来ずに機体を喪失。パイロットも脱出できずに死亡しています。

2機の機体が失われたことにより計画は中止されますが後退翼の実用化に大きく貢献しました。

キットはMACH2製のインジェクションキットです。ご存じの通り同社は簡易低圧射出成型によるキットですので細かいディテール表現は難しいのですがこのキットはバリも少なく出来は良い方でしょう。少ないパーツでX-2を再現しています。

ただ成型素材が少しもろいプラのようで薄いパーツに応力ひずみや変形痕(白化)も見られます。

 

パーツ

 

 


Douglas X-3 STILETTO

1/65 Scale  REVELL

1940年台後半、ダグラス社はロケットエンジンではなくジェットエンジンによる超音速機の研究に着手。これに注目した陸軍航空隊が次世代マッハ2級のジェット戦闘機の研究開発計画として試作を承認したのがこのX-3です。

1951年に1号機は完成。ご覧のように鋭く尖った細長いノーズに三角断面の機体後部に新ターボジェットを2基搭載し、F-104スターファイターも真っ青の小型の平面薄翼を有するデザインはいかにも超音速だしますよといった姿ですが残念なことに新開発のXJ49ジェットエンジンの完成が予定よりも遅れ、またエンジン直径が計画時よりも大型になってしまいすでに完成している機体内には搭載できないことから仕方なく20%以上も推力の劣る既存のXJ34を2基代替搭載してのテスト飛行に臨みました。

案の定エンジンの推力不足は致命的でマッハ2を目指したX-3は水平飛行でどうしてもマッハ1を超えられず、ダイブ飛行でやっとマッハ1.25を記録。

平凡な機体の烙印を押され計画は中止となり機体は1機のみの試作で終わりました。

先に主翼がF-104に似ているとしましたが後日このF-104の開発の際にこのX-3の翼特性のデータが役立ったという逸話もあります。

 

X-3    1/72 Scale  MACH2 (Injection Kit)

 

 

X-3  1/72 Scale Planet Models (Resin Cast Kit)


North American X-15

X-プレーンといえばノースアメリカンX-15ロケット高速研究機でしょう。

X-15の幾つかのキットをご紹介するとしてその間の機種について簡単にまとめておきます。

 

X-6は原子力爆撃機計画であり開発中の原子力エンジン試験機として当時最大の爆撃機コンベアB-36を改造したNB-36Hが試作されました。機首は鉛の防護壁で守られたコクピットモジュ-ル型に改造され、開発中のP1直接サイクル原子力エンジンを搭載してまずは飛行中における稼働原子炉の影響が調査されます。当時は本気で原子力機を考えていたわけです。

12tもの防護壁で守られたコクピットモジュール内でもパイロットの被爆線量は許容できないほどの量だったとか。

搭載原子炉の放射能からパイロットを防護するシステムや直接原子炉で加熱される高温空気の大気放出汚染の問題等から開発が中止されたのは言うまでもありません。

今までにも核爆弾を抱えた航空機の墜落事故は幾つかありました。

爆弾ならば起爆シークエンスが作動するまでは何とかなりましたが飛行中の動力として稼働している原子炉を抱いた飛行機が不測の事故でクラッシュしたらどうなるか.......未来は遠いということでしょう。

キットとしてはモノグラム等のB-36用改造レジンパーツキットが出ていた気がするのですが.....

 X-7はLockheedに命じられたラムジェットエンジンの試験用ロケット

 X-8は超高空大気層調査用のロケット「Aero Bee」。

 X-9はBellによる試作スタンドオフミサイル(実用化中止)

上記X-7~9はその昔Revellから個別のキットがでていましたが今はAnigrand Craftworksからレジンキットの3機セットがでているので入手は可能です。

 X-10はNorth Americanの大型大陸間超音速巡航ミサイルNavaho:ナバホ

(実用化中止)

 X11と12は大陸弾道弾ICBMの先駆アトラスAとアトラスB。

 X-13は垂直離着陸試作機:

 X-14もBellによるハリア-形式のVTOL離着陸研究機。

でした。

 

 

North American X-15

1/96 Scale     Revell

極超音速領域の研究を目的とし3機製造されたロケット機のX-15。

この機体はX-プレーンの中でもX-1以上に有名な(恐らくは一番有名な)機体ゆえに詳細を述べるまでもないでしょう。

航空機プラモファンの方ならば一機や二機作った経験をお持ちの事と思います。

前人未踏のマッハ4以上の高速飛行研究のために設計された機体は色々とトラブルや事故がつきまといましたが1961年11月ホワイト空軍大尉:Robert Michael Whiteの操縦で初のマッハ6プラスの有人飛行最高速度記録を樹立しています。

当時の少年雑誌にその極超音速飛行時の高Gによってホワイト大尉の顔が変形したという記事があったのですが、その後の目にする色々な資料には一切そのようなエピソ-ドは見当たらず...........(また子供をだましやがったか)。

2号機は改造型A-2号機になり、3号機は事故で喪失。残った1号機はワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に収蔵されています。

 

このキットはブラジルレベル版ですがヒストリーメーカーシリーズでも再販されていました。

 

 

X-15 A-2 1/72 Scale  Special Hobby

1962年11月に事故を起こし機体に大きなダメージを受けた2号機の修理を兼ねてMach8までの飛行を目指し改造された機体です。

燃料の液体アンモニアと液体酸素のドロップタンク(使用後改修型)を機体下面両舷に取り付け、機体には新たな耐熱性アブレーション塗料も施されたこのA-2は1967年10月3日のフライトで、ウィリアム・J・ナイトの操縦によりMach 6.7を記録しましたが機体が受けた熱損傷が予想外に大きくそのまま引退になっています。

しかしながらこの速度記録は有人飛行記録としていまだ破られていません。

この機体は現在ライトパターソン基地内の国立アメリカ空軍博物館にて展示されています。

簡易インジェクションとは思えぬ出来の良いキットでメーカーからは1/32スケール品もリリースされています。

 

 

X-15  1/130 Scale  Heller

小粒のX-15キット。プロポーションはなかなかのキットでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

D-558-2 Skyrocket 

1/72Scale  Special Hobby

米国海軍とダグラス社がタッグを組んで1948年2月4日に初飛行させた水平有人飛行でマッハ2突破を目指したジェット/ロケットエンジン混合動力試験航空機です。

空軍がベルX1で初のマッハ1突破を達成し、誰しもがこのまま空軍によるマッハ2突破も時間の問題かと思いきや続くX-2,X-3で空軍が躓く中、海軍のこのD-558-2が先に達成、世間を驚かせました。

3機製作された機体はターボジェットとロケットエンジンの混合動力搭載機として設計されたものの、一号機はターボジェットエンジン、二号機はロケットエンジン、三号機は混合動力飛行での試験データの収集を続け、二号機が1953年11月20日にマッハ2.005を記録しています。3機で合計300回以上の試験飛行を繰り返し膨大なデータを収集したものの、マッハ2を超えたのはこの記録だけでした。

キットととしては古くはStronbeckerの木製ソリッドキットにRevell1/65半端スケールもの、1/72スケールAniglandのレジンキットにMach2からも低圧インジェクションキットが出ていますがこのキットは機体はインジェクション、タイヤはレジン、小さいながらも計器盤は彩色エッチングパーツが付属しています。

全てのキットはコクピット部が突起した2号機をモデル化したものです(一号機はBell X-1Aタイプの機体面一型でした)。

 

キット内容

 

 

マルチマテリアルパーツ



USSR  X-Planes

Tsybin RSR/NM-1

今回は世界初のマッハ3実用高速機Lockheed A12からその栄冠を奪っていたかもしれない試作機のお話。

1954年、ソ連空軍がラムジェット動力によるマッハ3級高高度長距離戦略偵察機としてTsybin設計局に開発を命じたRSR:Reactivnyi Stractegiheskii Razvedchik。写真の箱絵のごとく細長いペンシル状胴体に薄型台形翼をつけ、その翼端にエンジンナセルを置いたラジカルなデザインの機体でした。

そしてそのRSRの実証機として製作されたNM-1はデザインはそのままに若干小さめな機体に翼端エンジンナセル内には通常のジェットエンジンを搭載して低~中速度試験機として1959年初飛行しました。

当時米国で開発が進み、その後ソ連上空を我が物顔で偵察飛行をする米国LockheedのU-2高高度偵察機に対抗すべく開発が進められたRSRはU‐2とは異なる高速性能を持った機体を目指します。

このコンセプトは後に登場する世界初のマッハ3級高高度偵察機米国のA-12の先を行くものでした。

この機体の開発目的としてやはり同時期に米国で開発がスタートしたマッハ3級高高度長距離戦略巨人爆撃機XB-70の迎撃機としての転用方針もあったと思われます。

機体デザインは同時期に英国で開発がスタートしたAvro 730(1957年計画中止)やBristol 188(1962年初飛行)高速度試験機に似ていますが、Tsybin設計局はその前からRSRに似た先尾翼を有する超音速戦略爆撃機RS(Reactivnyi Samoliot)の設計検討をしており、RSRはそれを改設計したものでした。

実証機NM-1は初飛行に成功し、試験飛行をこなしていきますが低速域の機体制御に劣る機体であることが判明し、動翼や垂直尾翼の拡大等の機体改良や降着装置の見直し等が提案されます。

この試験結果により計画は改設計されたRSR Mrk.2/R-020の製作へと進みますが5機の機体フレームが出来上がった時点で(本当に製作が進んでいたのかは不確証)このRSR計画は高高度超音速戦略偵察機、高速迎撃機ともに中止となり実機はこのNM-1のみとなります。中止の一因は搭載される予定のターボラムジェットエンジン完成にメドがつかなかったからとも.........

結局このようなコンセプトのマッハ3級の機体が実用になるのは米国CIAの要求を受けて極秘開発されたLockheed A12(SR-71の先駆)を待つことに。

 

キットはA-Modelの1/72スケールのインジェクションモデル。

簡単な最中モデルかと思いきや、それなりの部品数で実機をうまく表現しています。ボックス絵は描かれた機体角度のせいか寸詰まり機種が異様に太目に見えますがパーツを見ていただければわかるようにもう少しスリムな長胴形状でうまく再現されています。

 

 

まあこんなマイナーな機体は出してくれるだけありがたいとも言えますね。