革新技術テーマ別の航空機展示室


最適な翼を目指して

XプレーンではX-2/X-4の後退翼、X-3の直線薄翼、X-5の可変(後退)翼からX-21の層流制御翼をへてX-29の前進翼と「翼の形と機能」に注目した研究がなされてきました。

速度、機動性、航続距離といった全てに優れる高性能な機体を目指すには当時まだまだ未熟だったジェットエンジンの高性能化と並行して基本の翼に注目し、機体の高性能化の一助としようとしていたのでしょう。

 

 

1)可変翼(VG翼)

飛行中に翼の形を変える、SFやゲームに登場する最新鋭機といえばまず搭載されているこの可変翼機構。XB-70超音速爆撃機に搭載された主翼翼端を上下に可変して速度に応じて翼抵抗の低減や機体の横安定性を改善する特殊な機構もありますが、一般的には速度に応じて機体取り付け角度を前後させることで空気力学性能を極力最適化できるようにする可変後退翼が唯一実用化されたシステムです。

通常可変翼と言うとこの可変後退翼を指すといってよいでしょう。

ここでは可変後退翼の実用化黎明期の機体をキットでご紹介します。

 

Bell X-5 1/48 Scale  Revell

世界最初の可変後退翼機構を搭載した実験機ベルX-5です。

世界最初という称号には異論が出るかもしれません。

第二次世界大戦末期の独ではメッサーシュミットがP-1011という実験機を開発中でした。Bell X-5もこのP-1011を母体として開発された機体です。

ただP-1011は地上でミッションに合わせた翼角度にセッティングする形式でしたので現代における飛行中に翼形態を適時変化させる機体としてはこのBell社のX-5が最初の機体です。

可変後退翼機構は現在主流のピポッド式ではなく、機体内部にスライドレールを設け、この上を左右両翼の連結ピボットが電動でスライドし、機体軸上で翼の位置と角度を変えていく複雑な機構でした。

1951年に初飛行し、2機が試作されましたが1号機は事故で喪失しています。

この機構は翼変化(後退角)による重心の移動が適切にコントロールされるメリットがありますが機構が複雑で重量増加や強度設計に加え、機体内のデッドスペース等のデメリットが多く、海軍が試作したグラマンXF-10Fジャガー(XF10F Jaguar)艦上戦闘機以外その後は採用されていません。

それでもF-111、F-14やB-1等の可変後退翼の傑作機の礎を作った記念すべき実験機でした。現存する2号機はXB-70と同じくライトパターソン空軍基地内の国立アメリカ空軍博物館にて展示されています。

 

 

General Dynamics F-111(TFX)

1/72 Scale       Revell

民間経営者としての辣腕を買われ就任したマクナマラ国防長官が当時の国防予算圧縮に向けてお得意の対費用効果論等のビジネス手法を唱えて軍部を敵に回しながらも数々の大ナタを振るったことは有名な話です。

その中の一つ、3軍共通装備の開発・購入推進策として当時個々にすすめられていた海軍と空軍の新型戦闘機開発計画に対して強引な統合を命じた結果に生まれた「あだ花」F-111。

初の実用VG翼戦闘機でもありました。

当時海軍はミサイリヤーと呼ばれた艦隊防空用滞空型の長距離空対空ミサイルキャリアーを求めていました。

一方、空軍はそれまで追い求めていた敵陣内における超高高度・超音速侵攻ミッションの有効性が敵陣の対空ミサイル防衛網の発達で揺らいでしまい、次世代の戦闘攻撃・爆撃ミッションには超低高度・超音速飛行性能を有する新型機を必要としていました。

このため空・海両軍はマクナマラの命令に従い協議を進めた結果として統合にはVG翼、新型ターボファンエンジン双発として(洋上での運用が主体になる海軍は安全性から双発機を絶対条件として譲らず)強力なパワーを有する機体が必要といった概念はまとめたものの実際の統合は無理と一旦は拒否しますがマクナマラはそれを認めません。

二軍がまとめた基本コンセプトを踏襲し、極力共通化した機体構造にアビオニクスや兵装を適時換えることは認めた統合戦闘機開発計画を提案せよと各メーカーに要求し、最終的にボーイングとGD案の一騎打に。

その審査過程は度重なる設計のやり直しと公聴会まで開かれた紛糾の中で機体共通化を前面に出し空軍向けのA型、海軍向けB型を提案したこのGD案の採用をマクナマラは押し切ります(とはいえ実際の共通化は50%を大きく切るものだったとも)。

これは現在開発中の統合打撃戦闘機計画JSFとは真逆のシナリオでした。勝者のF-35に対して機体共通化にこだわったボーイングのF-32が敗れた悲劇のルーツはこんなところにまで遡れるのかもしれません。

実際海軍機と空軍機を一機種でまかなうのは至難の業。空母と陸上滑走路という異なる運用形態だけをとっても共通化には大きな障害です。特に海軍側からの制約は多く厳格な機体重量制限や強化された降着装置に単発機の敬遠等々。

特に海軍はVG翼等による肥大した機体重量超過に神経をとがらせました。

空母への着艦速度の速さや採用された主翼下付け根の1/4円型エアインテークとTF-30ターボファンエンジンのミスマッチによるエンジンストール問題にも嫌気がさして(初期はTF-30は欠陥エンジンと見られていました)早々と計画から撤退を決め、結局あのF-14トムキャット開発へと進みます。

しかし実際VG翼の効果には目を見張るものがあり航続距離の面においても、また地形追従レーダーとの連動による高度数100mという超低空での超音速自動飛行性能の面でも当時他の追従を許さない機体と評価されます。

その後エンジンストール問題もインテークの改良によって完全ではないまでもほぼ抑え込むことにも成功。

唯一の欠点が戦闘機としての格闘戦能力に劣っていたことでしょう。これは戦闘機としては致命的とされましたが兵器搭載能力と超低高度超音速侵攻能力が買われて小型ながら攻撃・爆撃機型FB-111として戦略空軍次世代爆撃機B-1の実用化までのつなぎとしての活路をみいだされます。

また完全与圧されたサイドバイサイド式コクピットはワイシャツ姿で操縦できると謳われ、緊急時にはコクピット部そのものがモジュールとして射出されて回収されるようになっていました。この機構はB-1A爆撃機にも採用されたアイデアです。

海軍のF-14戦闘機、空軍のB-1爆撃機ともにその基本コンセプトのルーツはこのF-111にあると言ってもいいのではないでしょうか?

一部で失敗作/駄作機扱いされているこの機体をなぜそんなに褒めるかって?

確かにお気に入りのBAC TSR-2の命運を決めた一因ともうわさされる憎くき機体でもあるのですがこのF-111が悪いわけではないですし、無謀な統合要求に最初から採用に冷めていた一方の当事者の海軍から冷遇されながらも何とか空軍向けにまとめ上げられた機体は戦闘機の本分を忘れたと酷評され.......。

その窮状を救ったのも数々の難問に苦悩する技術陣たちの意地と努力に加え、海軍向けの要求性能を持ち得た先駆的なマルチロール性能故でしょう。よく頑張ったとほめてあげるべきではないでしょうか。

あと数歩でF-14になり切れなかった機体。あのグラマンが海軍型機体設計に参画していたのですから。

 

さてさて古いキットですが当時国防長官お墨付きのプロジェクトとあって試作機段階でのキット化です。F-111のキット中でもA/B型コンパチブルのものはこれだけではなかったかと思うのですが(オーロラ版は別々だったような)

脱出モジュール型コクピット、B型の短いレドームとA型の長大レドーム、海軍B型の翼端延長翼部追加と2機種の特徴を手堅くモデル化しています。

そうそう、日本でも日東科学だったと思うのですがモーターライズでVG翼を可変しながら走行するF-111がでていましたね。

F-14やトーネードなどは各国空軍機のコーナーで出す予定です。

 

パーツ類

 

 


2)前進翼

現在の航空機の形態に関する技術はそのほとんどが第二次世界大戦中のドイツで発案研究されていたものといっても過言ではありません(終戦後に戦勝国達がその研究成果を奪い合ったわけです)。

今でこそ超音速機の翼形として極当たり前となった後退翼もしかり。その後退翼の欠点、低速での翼端失速(揚力の消失)発生のし易さを改善する手法として逆の形となる前進翼が発案されました。

しかしながら飛行中には前方にせり出した翼先端がねじられ、翼前縁や機体接合部等に大きな応力がかかり、最終的には翼を破壊してしまうことも判っていました(これをダイバージェンスと呼ぶびます)。

まあ翼の強度を増せばいいのですが話はそう簡単ではなく、通常強度を増せば構造重量が増すのは自明で、航空機にとってこの重量増加は御法度でした。

それ以上に機体安定性が過敏になりその制御も至難の業であることも判明し、

軽量で強度の稼げる複合材、FRP(Fiber Reinforced Plastics)の登場とそのFRPによる翼作製技術とともに電子制御による機体安定性増強技術が進歩するまでこの前進翼は封印せざるをえませんでした。

 

 

Grumman X-29A 

1/72 Scale        HASEGAWA

米国国防省、USAF、NASA共同で試作された前進翼研究機GrummanX-29A。

写真のキットは1/72スケールで長谷川からリリースされたものです。

実機は翼こそ最新の複合材技術とシミュレーションにより最適強度設計された新翼ですが機体は経費節減のためNorthropのF-5、主脚と機体制御系(フライバイワイヤ)はF-16、エンジンはF-18のものとフランケンシュタイン真っ青のパーツ流用機でした。

高機動性確認試験飛行は順調に進み、貴重なデーターを収集できたとされていますが米国ではこのX-29の後に実用化された前進翼戦闘機はまだ出現していません。

このキットは初版リリース当時の古いものですがこの機体としては大変出来の良いもので唯一のインジェクションキットということもあって需要も高く、何度か再販されていますので店頭には今でも並んでいると思います。

 

 

SUKHOI S-37 BERKUT

1/72 Scale      ITALERI

X-29Aの初飛行から13年後にロシアのSukhoiはこのSu-37(後に47に改称)Berkut:ベルクトを進空させました。

写真はITALERIの1/72スケールのインジェクションキットですが、ほかにもRevellから1/144のものも発売されています。

このSu-37は第五世代戦闘機としてMig1.44(写真3下段)とともに試作された機体ですが、未だ採用・実用化はされていません。

エースコンバットで良くお世話になった機体のひとつです。

 

Revell版 Su-37

 

 

MiG 1.44



ヘリコプターを超えろ

VTOL Aircraft(垂直離着陸機)

回転翼機(ヘリコプター)の様に離着陸時に長大な滑走路を必要とせず、固定翼機の様に高速でかつ長距離を飛行出来る機体はできないか?このいいとこ取りの機体を求めて米国空軍USAF、海軍NAVYやNASAのみならず世界で永年研究が続けられ数々の機体・システムが試作されてきました。

色々のアイデアや技術が試されてきましたが実用化に漕ぎ着けた機体はベクタードスラストエンジンの実用化で花開いた英国のハリアーと旧ソ連のフォージャー(お世辞にもハリアーとは比較にならないレベルであったとも)、リフトエンジンとターボファンエンジン排気の偏向方式を採用した米国F-35BライトニングⅡに加えチルトエンジン方式のXV-15/V-22オスプレイ位でしょう。

この3機が実用機として進空するまでに試作されては消えていった数々の試作機の中から幾つかの機体を民間機も含めてキットでご紹介します。

 

Convair XFY-1  POGO

1/72 scale         KP

1950年代前半、大型の2重反転プロペラを装備した固定翼の機体を垂直に立てて離着陸させ、空中で機体を水平転換させてから通常の固定翼機として飛行するというテールシッターコンセプトの機体開発が海軍から出され、その設計要求に対してコンベアが立案・試作した機体がこのポゴです。同時にロッキード社案も採用され2社競作となりました。

基本的に機体を立てて駐機させ、離着陸時はヘリコプター的な運用をする比較的単純なアイデアから生まれた機体コンセプトでしたが垂直⇔水平の姿勢転換と垂直着陸には大きな技術的難度が伴いました。

競作相手のロッキード社XFV-1  サーモンは2枚固定翼の通常機的なデザインがいまだ強かったことが災いしてか姿勢転換には成功していません。

飛行は機体を台車に載せて水平離陸した後、水平飛行のみに成功しています。

4枚の大型デルタ翼を十字に配したポゴは垂直離着陸、転換飛行にも成功しましたが結局パイロットの乗降や機体操縦の扱い難さ、なんと言っても着陸時の危険性から試作のみで計画は中止となっています。

この機体のキットと言えば古くはオーロラ、次いでリンドバーグの1/48スケールが有名です。二重反転プロペラの駆動機構内蔵とパイロットの乗降時に使用する専用乗降ラダーもキット化されていました。

一時期日本のホビーネットワーク(タイムマイザー)から再販されたこともあります。このときには専用ラダーは入っていませんでした。

忘れた頃に再販されるキットです。

 

こちらは一回り小さい1/72サイズで出来はまあまあといったところです。

 

 

McDonnell XV-1 Convertiplane

1/32Scale         GLENCOE MODELS

コンバチプレーンと名付けられたこの機体。名前の通りに回転翼機に固定翼を付けた複合機で、基本的にはヘリコプターの発展型とできるでしょう。

この機体の特徴はローターの回転方式で通常取られているエンジン回転をメインローターに伝達するための複雑なトランスミッション機構を持たずに、エンジン排気を適度に冷気とミックスしてから回転翼の先端に導いて直接噴出させローターを回転させ推力を得るホットサイクルローターを採用していることです。

このシステムは機械的メンテナンスがフリーとなるメリットに対して高温排気の導入分配システム等の熱劣化というデメリットが露呈し、結局実用化に至りませんでした。

当館7号館の「食玩の世界」にて展示中のデラックスビックワンガムのレアキットのひとつシコルスキーS-72 X-Wingはこの点を改良した画期的な高性能複合ヘリコプターの試作機でした。

写真のキットはキャビン内部が再現されており側面のスライドドアが開閉できます。

オリジナルはITC Modelのキットでした。

 

 

Hillrrer X-18

1/72 Scale   Annigrand Models

速度、航続距離、積載量の点ですでに実用化されていたヘリコプターの限界を超えるべく米空軍とNASAにおいて数々のアイデアの実証機体がつくられてきましたがその中で推進エンジンを固定装備した翼そのものをスウィングさせ、その角度によって機体を垂直ー遷移ー水平飛行へと転換させることを目指したチルトウィング式試作機の一つ、X-18です。

ヒラーはもともとヘリコプターの製造メーカーとして有名な企業でしたが垂直離着陸機の実用化研究にも熱心な会社でした。

機体は輸送機YC-122の胴体を流用、エンジンにコンベアのポゴと同じ二重反転プロペラ装備のアリソンYT-40ターボプロップエンジン2基を搭載。さらにJ34ターボジェットエンジン一基を胴体後部に別途搭載しその排気を機体後部に突き出した排気管から(上下二方向制御)噴出して垂直・転換飛行時における機体姿勢を制御するアイデアを採用していますが試験飛行当初、機体上昇時だけでも機体の安定性に難があることが判明。一連の姿勢制御装備の効果不足とメインの水平飛行時においてはデッドウェイトになること、機体制御には左右メインエンジン出力の同期制御等がより重要であることが判明。結局遷移飛行等の実飛行はあきらめてキットの箱絵写真のように地上に設置されたカタパルト状のガントリーに固定されて飛行特性データの収集が続けられ、2年間の試験終了後に機体はスクラップに。

 

キットはアニグランドの1/72スケールレジンキットです。

 

 

 

Ryan X-13 VERTIJET

1/72 Scale        Mach2

USAFのX-Planeの一機であり、1955年に垂直離着陸ジェット機として最初に離発着・転換飛行(ホバリング含む)まで成功させた試作機です。

無尾翼デルタの純粋ジェット機で機体は専用の吊下げフックが設けられた移動ステージからのゼロ発進、着陸も垂直下降でホバリング制御して機首のフックをステージに引っかける形式でした。従って車輪式降着装置は装備していません。

先のポゴでは操縦席は固定でしたが、このX-13ではジンバル式の角度可変型のシートを搭載してパイロットの乗降や離着陸時の視界確保の改善が見られます。

2機試作された機体は大きな事故もなくテストを着々とこなしていきましたがやはり航続距離や搭載兵器量といった点から実用機への転用は無理と判断され計画はキャンセルされてしまいます。

度胸と愛嬌のある機体として結構お気に入りの機体でした。

キットは1/72スケールのインジェクションキットです。低圧インジェクションメーカーのマッハの製品の中ではパーツにバリやひけ等も見当たらず、非常に出来の良いキットで付属の角度可動式ステージの出来が秀逸です。

永らくオーロラの半端スケールキットが唯一のインジェクションキットとして珍重されていましたがこのマッハのキットの登場で箱絵以外はこっちの方がいいかな?といった状況です。

 

キット内容

 

 


SNECMA COLEOPTERE 1/72Scale Mach2

フランスの垂直離着陸実験機コレオプテールとその発進用ガントリーのセットのモデルです。

同じく同社からリリースされている米国ライアンX13バーティージェットのガントリーセットと並べるのも一興です。

コクピットのパイロット座席も両機同じくジンバル機構を採用して機体の起立角度に対応してましたしね(キットもギミック化されています)。

一見ドラム缶の様な円筒の中央にターボジェットエンジンを内蔵した内筒機体を固定し、その前方にインテークと機首を載せた単純な機体に見えますが、外筒部全周が層流翼に近い断面形状を持つ円筒翼(Closed wing/Ring wing)であり、垂直上昇時の機体安定性増強とともに水平飛行中にも少なからず揚力を発生するように考えられていた様で、胴体とこの円筒型外翼を固定する4枚のプレートが通常水平飛行時には水平・垂直安定板の役目も受け持つような構造となっていました。

上手くいけばラムジェットによる高速機への発展も考えていたのではないかとも勘ぐりたくなる機体構造ですが、まあそうするとダクトの機能はラム気流発生用に最適化されますから別途翼が必要になるでしょうし円筒長も短く、まずは円筒翼の実用性や如何に?といったところだったのでしょう。

ミサイルならね......。

垂直飛行の成功は1959年3月6日。その後8回垂直飛行・着陸を成功させましたが9回目の水平飛行転換試験でコントロールを失い墜落(水平転換飛行には成功したと言うことになっているのですが.....)。パイロットは辛くも射出座席で脱出しましたが唯一の機体は全壊、計画は中止となりました。

古くは1/48スケール品がエレールから出ていましたが日本にはタイムマイザー版として同スケールのリンドバーグ製F-11Fタイガーとともに発売された記憶があります。

製造工程故にパーツ縁に細かいバリが多く結構手前処理には手間取るかもしれませんがガントリーは手すり等細かいパーツによる構成でよく出来ています。

 

ボックスの中身(今回はポリ袋入り)

パ-ツ割り

 

 


Fairey ROTODYNE 

1/78 Scale    Revell

ヘリコプターと固定翼機のハイブリッド機としてフェアリーが大型民間輸送機用途に開発した「ロータダイン」。

チップロータ(先のXV-1と同様にギア伝達回転ではなくローター先端に高温排気ガスを導入して吹き出すタイプ)によるヘリコプターとして垂直離陸し、固定翼上の2発の通常エンジン推進に切り替えて固定翼機として高速移動を可能としています。

固定翼機として飛行中はローターへの推力ガスはカットされ無動力となりますがローター自体はロックされずに前方からの空気流により自然回転しながら機体揚力の補助をする機構となっています。

これはオートローテションと呼ばれる機構でヘリコプターではエンジン故障等による動力喪失時でも機体が一定の相対速度域で飛行していればこのようなローターの自然回転によって揚力の補助が得られるため降下速度を低減できるとされるものです。後にキットを展示予定のV-22オスプレイで色々論議がなされているのをご存じのことと思います。

「世界最初のVTOL旅客機」と鳴り物入りでお披露目された当機は車社会の発達による道路混雑の常態化によって定時移動がままならなくなっていた大都会での移動手段として期待されましたが機体操縦性や都会の空での運行システムとしての騒音問題に加えて運行コストが見合わないと判断され、これも試作一機で終わってしまいました。

 

キットはインテリアが精密再現(貨物室やレストルームまで!)されており完成後は片面Cut awayモデルとして中が見られます。

古いキットで永らく再販されませんでしたがレベルのクラッシックシリーズとして少し前に久々の再販となったものです。

 

Parts

 

 

デカール類



見えない航空機を目指して           Stealth Plane (ステルス機)

現在世界で実用化が進むステルス戦闘機。いまだその頂点に立つUSAFのLockheed-Martin F-22を筆頭にロシア、中国そして日本も第五・第六世代の戦闘機の研究開発に凌ぎを削っています。

機体をレーダーに捉えにくくするステルス技術は古くはマッハ3級の超音速機SR-71(A-11/YF-12)から採用されていましたが、徹底的に機体のレ-ダ-反射面積を小さくすることに主眼を置いた実用機は写真の如く戦闘攻撃機はLockheed  F-117、爆撃機はNorthrop B-2からでしょう。

そのキーとなる技術を大きく分ければ

①レーダ-反射を拡散する機体デザイン

②レーダ-を収束・吸収する素材やデザインを取り入れた部材の採用

③自らの居場所を教えるようなアクティブセンサ-類の排除

がその大きな技術要素となります。

機体形状からすると写真の如く前述のF-117とB-2は全く異なるアプローチを採用しています。機体色は黒色(電波吸収材塗料/素材によるもの)で同じですがF-117は平面パネルを組み合わせたような楔形形状なのに対し、B-2はぬめっとした蛸を押しつぶして広げたような曲面形状。

技術的なことは専門書に任せるとしてF-117の機体に採用したジオメトリ-は少し古いステルス技術に属するので現在ではこの手法を追従する機体はありません。

平面のみで組む機体では空力学的な設計上の制約が多いことや当時は困難であった3次元曲面デザインによるレーダー波の反射拡散率の最適化といった計算処理がスーパーコンピューターの発達で可能になったことが大きなターニングポイントでしょう。

実はこのF-117、実機の存在が公表される前からすでに米国でレーダ-に写らない戦闘機が実用化されたと騒がれ、F-19と称したその実機想像図を基にしたキットが幾つものメーカーからリリ-スされた時期がありました。

名称の由来は当時NorthropのF-18 Hornet(ホーネット)とF-20 Tiger-shark(タイガ-シャ-ク)の間が欠番だからという単純な理由なのですが、不鮮明な一枚の写真とともに国防総省が発表した名称はF-117!?「今頃センチュリ-シリ-ズかい?この機体は!」とびっくりしたものです。

どうもこれは秘密裏に進められた開発計画ゆえに架空の次期高性能エンジンの開発名目で議会から予算を獲得するためだったというのが定説のようです。

機体形状といい名前といい巷の予想は結局どれも大はずれでした、

この手のキットを実機とかけ離れた駄作とみるか、幻のキットとして珍重するかは個人の見解が分かれるところでしょう。

この辺りの顛末は当時の航空雑誌の格好のネタでした。写真は当時特集が掲載された航空ファン1989年2月号です。ここではF-117の実機キットが世に出るまで世界を騒がせたステルス機のモデルをご紹介しましょう。

 

F-117A


F-19 Stearth Fighter

1/48 Scale Monogram

まずMONOGRAMからリリ-スされた1/48スケ-ルのF-19ステルスファイター。

このキットの機体デザインは実際のF-117からかけ離れたものでした。

当時話題となったATF(先進戦術戦闘機計画)のコンセプトデザイン等を参考にしたとも言われています。

時を経てそのATFコンテストでLOCKHEED-MARTINのF-22に敗れたNORTHROPのF-23を思わせるデザインなのも偶然ではないかもしれません。実際F-23のステルス性は高かったそうですから。

当館長は競作で敗れたF-23の方が好きでした。

 

 

F-19 Stealth Fighter  1/48Scale   ARII

当時大手新聞の記事にもなったアリイのキット。

このキットのデザインが謎の実機に極めて近いと関係者が匂わしたとか、ちょっとしたスクープ扱いでした。

まあモノグラムのキットよりは近いといえば近いですけど........

キットにけかられた黄色の帯のコピーにも力が入っていると思いませんか?

他メーカーも負けじとF-19のキットを出してきます。

一見すると有井(ARII)のキットと見間違いますがよく見るとカナードの位置やその後ろの空気取り入れ口の対レーダー反射処理が異なるものです。

下段がITALERIからリリースされた1/48スケールとそのスケールダウンの1/72キットで上段は同じものが後日TESTORS/ITALERIとして再リリースされたものです。

 

         TESTER  1/48スケールと     ITALERI  1/42 & 1/72スケール

キット揃踏み

 

 

ITALERI  1/48スケール

そして実機は.......


MIG-37B Ferret-E 

1/72 Scale    ITALERI

1980年代の世間が米国空軍の見えない戦闘機F-19(F-117)についてのガセ情報でにぎわっていた当時、ロシアもステルス機を開発中という噂でリリースされたMIG-37Bのキット。

シュワルツネッガー主演のファイアーフォックスというソ連製の極秘高性能ステルス戦闘機の争奪戦を描いた映画もありましたが、この機体もまず架空の機体の可能性が高いとされています。

ただその後、登場した米国第5世代戦闘機開発計画において登場したF-23(F-22の競作機。性能比較試験で健闘したものの残念ながら総合評価で敗退、採用ならず)に共通する設計概念をも持っており、単なる模型メーカーの想像の産物ではないのでは?とその情報源について諸説紛々、話題になったキットでした。

 

 


ATF(Advanced Tactical Fighter)

先進戦術戦闘機開発計画

現在でも最強のステルス機として君臨しているF-22 Rapterを生み出した次世代戦闘機開発計画のATF。格闘戦闘機として君臨してきたF-15 Eagleの後継機開発計画としてその存在が1980年に公表され、1985年米国主要メーカー7社に要求されたコンセプトは

 ①高いステルス性能

 ②高性能レーダー探知能力を中心とする先進アビオニクス

 ③マッハ2でのアフターバーナー無しでのスーパークルーズ性能

「敵が気付く前に確実に打ち落とす」というこの構想はその後の新機種開発の主流になっています。

③に関しては新エンジンの競作も行われることに。

ATF計画自体も何度か危機に見舞われますが最終的に競作検討候補とされたのは機体はLockheedのYF-22Aと Northrop/McDonelのYF-23の二案、エンジンはプラット&ホイットニーのYF-119 とGD-100ゼネラルダイナミックスYF-120-PW100が候補に。

各二機ずつ試作された機体に2種の新エンジンをそれぞれ装備させ、数々の試験で比較評価されました。

その試験結果の詳細は非公表とされましたが、漏れ伝わる情報としてステルス性能では互角、スーパークルーズ性能はYF-23に軍配があがった様ですが最後はやはり戦闘機としての本領とも言える格闘戦闘能力(まあ敵が気付く前に打ち損ねた場合)でのYF-22Aの優勢判定から勝者はご存じの如くPWのYF119を搭載したF-22Aに。YF-23もいい機体だったんですがね..............

尚、YF-22は当初キットの如く「LightningⅡ:ライトニング(稲妻)」が与えられましたがこの名称は後のF-35に譲られて「Rapter:ラプター(猛禽)」になっています。

一方のYF-23には「Black widowⅡ:ブラックウィドウ(黒衣の未亡人)」が与えられていましたが二号機にはGrey Ghostの名が後に与えられています。

 

格闘戦性能に秀でたYF-22

 

 

スーパークルーズ性能に秀でたYF-23

 



ATA(Advanced Tactical Attacker)

先進技術攻撃機開発計画

GD/MD  A-12 AvengerⅡ 

1/72 Scale         Anigrand Model

次期ステルス艦上攻撃機として計画されていたアベンジャーⅡ。

海軍独自計画の初ステルス機調達計画ながら懲りずにまたまた三軍合同装備計画に格上げし、ジェネラルダイナミクスが主契約、艦上機の経験豊富なマクドネルが副契約社として(なんかこれもF/D-18の.......)膨大な研究開発費を注込んだものの完成したのはモックアップのみで試作前に計画中止に。力は入ってたんですがね........

初代アべンジャー(復讐者)とは大戦時代の名機と言われた艦上レシプロ攻撃機で当ルームにてもギミック満載のRevellの古いキットを展示中のです。

B-2爆撃機の小型版の様な無尾翼デルタの完全全翼機だった同機ですが箱絵で確認できるように両翼端の折畳み機構を持ち、当時の主力戦闘機F-14のほぼ半分のスペースしか占有しないコンパクトな機体に同機向けに開発中だった大出力GE-F412ターボファンエンジン2基とAIM-9/AIM120ミサイルまたはベイブレーザー誘導爆弾を完全内蔵式に装備する計画でした。

残念ながら機体は開発中止になりましたが兵装コンセプトはF-22に引き継がれ、エンジンは完成後F/D-18主エンジンに採用されています。

 

キットはアニグランドのレジンモデルです。着陸ギア、下面の4つの兵装格納ベイは開閉選択式、翼端折畳機構はとりあえず再現できるように両翼端部は別パーツ化されています。

 

 

 


JSF(Joint Strik Fighter)

統合打撃戦闘機開発計画

強力なステルス性能を有する第5世代戦闘機の調達を最上位機種のF-22のみでまかなうのはさすがの米国においても財政上無理とされ、その総調達コスト削減策としてF-22をHigh機種とし、価格を押さえたLo機種を全軍統一機種、ひいては西側諸国空軍にも採用を呼びかけて生産機数を増やし、一機当たりの開発・製造コストを引き下げてこの2機種のHi-Lo Mix配備を計画したのが事の始まり。実際はもっと複雑な経緯の下にやっと日の目を見た計画でした。

全軍統一機種といえば先のF-111で懲りているかと思いきや、今回のJDFでは空軍型A(CTOL)、海軍型C(CV)、海兵隊仕様B(STOVL)の3種を統合できる機種に次の技術要素を実現させるようメーカーに要求。

①低価格

②F-22並のステルス性能

③超音速巡航性能(ただしスーパークルーズ性能は不要)

④十分な航続距離と兵装搭載量

が必須能力とされました。

先のF-111で破れたことがトラウマになったのか機種統一性(共用部材の使用率)を律儀に守る形を採ったBoeingのX-32と通常離着陸だけの空軍/海軍型と垂直離着陸が必須の海兵隊型でエンジン仕様を手堅く変える方針で望んだLockheed/MartinのX-35が試作段階で審査されることに相成ります。

BoeingはコウモリのようなアバンギャルドなデザインにSTOVL型には主エンジンの前部圧縮部の排気と後部主排気をドアで閉じて下方に導き直接吹き付けるハリアーに近い方式に。

一方のロッキード/マ-チンは外観はF-22を小型にした様な手堅いオーソドックスなデザインにSTOLV型にはコクピット直後に主エンジンの回転をギア伝達して駆動させるリフトファン(ジェットではない)を設置するとともに主エンジン排気はノズル先端を折り曲げる方式の特殊蛇腹機構を搭載する形としました。

結局X-32海軍型で着陸時の迎え角が大きくなる傾向が判明し、STOVL型への改修にも手間取ったことで信頼性に疑問をもたれ、またX-35のSTOLV型の地表に吹き付けられる排気温度がより低温であるというメリットからX-35に軍配が。

とは言えF-35Bのエンジンの信頼性すら今もって揺らいでいる状況は、やっぱりねといったところ。

キットは共に試作機お披露目初期にリリースされたITALERIの1/72スケールのものです。競作に破れたX-32は今となっては貴重なキットでしょう。

 

Boeing X-32

Lockheed X-35

 

 



MACH 3級の実用航空機を目指して

  

Xプレ-ンには当初から「飛行機はどこまで高速を出せるのか」といった速度へのチャレンジという大きなテーマがありました。USAFにはその技術を生かしマッハ3級の戦闘機を持つという執念がありながらその悲願は今も実現していません。すでに速度よりも機動性、そしてステルス性と運用戦術が変化しているからでしょう。

USAFのセンチュリーシリーズにはその古い執念がたびたび垣間見えます。

センチュリーシリーズとは一般的に100番台の識別コードを持つ米空軍機を指しますがF-111の開発から始まったともいえる機体開発費と調達費の削減を狙った全軍統一機種の開発志向とも絡み合い、その後はUSNAVYが採用していた一桁コードに続けて機体用途コードと2桁コードの組合せに改正されています。

現在試験運用中のF-35がその最新の例ですがうまくいくかは今だに不確実。

さて話を戻し、当時USAFのセンチュリーシリーズには大量生産されたものもあれば全くの計画だけで終わったものも含まれます。

実際その機体開発は実用・正式採用が前提であり、そのために大量生産配備された機体には必ず競作機が存在しました。採用されず消えていった試作競作機は世界の試作貴コーナーで取り扱うとして、ここではUSAFの執念ともいえるマッハ3級戦闘機の開発計画で消えていった機体をご紹介しましょう。

 

 

Repablic XF-103 Thanderworrier

1/72 Scale  Anigrand Craftwork

まずは最初のマッハ3級のインターセプター(迎撃機)として計画されたリパブリックXF-103。

この機体は試作機体の製作半ばに計画全体がキャンセルされてしましたが、実用化に際して機体には解決すべき障害はなかったといわれています。

問題はそのパワープラントでした。

アフターバーナーつきターボジェットYF-66を一基搭載し、マッハ2まで加速した後に機体下部の空気取り入れ口(インレット)内で高圧縮された空気を直接アフターバーナー部に導き燃料と共に燃焼させ、その爆発的なパワーでマッハ3を叩きだす、いわゆるラムジェット(XRJ-55)を採用する予定でした。

ラムジェットと言えば当時夢のエンジンともてはやされていたものの実際は海のものとも山のものとも言えない代物で結局このラムジェットとして機能する機構の開発が難航し、全般的な開発費の高騰も災いして開発中止となってしまいました。

一方でこのXF-103の魅力の一つがパイロットの搭乗方法でしょう。

機体下部からエレベータ機構でカプセルが下りてきて、パイロットはそのカプセル内のシートに座るとそのまませり上がり機内で操縦席となる仕組み。緊急事態にはこのカプセルが下方に射出されマッハ3巡航時でも安全に脱出できる設計でした。

見るからに前方視野が悪い(事実ほとんど無い)ためボシュロムが開発したペリスコープ式前方映像投影方式を用いるというまるでTVゲームのように画面を見ながら着陸態勢に入るシステムを採用していました。

またマッハ3という速度の為に兵装(空対空ミサイルのみ)はすべて機体内蔵式とされました。

アラート発進した本機はSAGEシステムにより自動誘導されマッハ3の俊足で素早く迎撃コースに乗った後、機体側面に内蔵したAIM4(GAR-3)赤外線誘導型ファルコンまたは開発途上にあったAIM47(GAR-9)セミアクティブレーダー誘導型長距離ファルコンミサイル(核弾頭搭載可能)を適時選択発射して迎撃を完了。

この用法はF-102デルタダガ-で既に確立された迎撃システムですが新たに開発されたAIM47長距離誘導ミサイルは本XF-103計画キャンセル後も次の迎撃機用高性能ミサイルとして開発が続けられていきます。

 

写真は一番新しい部類のAnigrandの1/72スケールレジンキットですがこの前にCollect AirやFantastic Prastic modelから1/48スケ-ルで同じくレジンキットが出ていました。

内臓ミサイル格納方式(格納庫の配置)に関してはモックアップや試作機体の設計図にいくつかのバリエーションがあったためか、

①Collect Airがコクピット後部の機体上部両側面に直線一列に並べ、前にAIM4、後ろにAIM47を各2基内臓搭載する形で後期の機体(ノズルが円形)

➁Fantasticが両側面上下にAIM4を4基内蔵する初期のモックアップ(ノズルが方形)

③AnigrandがFantasuticと同じく機体両側面の上段に一基、下段に直列に2基のAIM4を搭載する計6発方式(ノズルは方形なのでこれも初期設計案か)

を再現しています。

まあどれも正解といえば正解なのでしょう。

このAnigrandの場合、図面やArtistic concept通りに下部のミサイル内蔵機構の前後で位置をきちんとずらしていますが、まあこの後ろの部分は塞いだ方が正解かな?といったところでしょうか。

 

レジンパーツ割り

 

 

デカール


North American XF-108 Rapier

1/48 Scale       Collect Air Model

USAFのマッハ3級インターセプター計画の第2段はNorth American XF-108 Rapier:短刀。
同じ航空機メーカーのマッハ3級超音速巨人爆撃機XB-70 VALKYRIEの護衛任務も兼ねた要撃機としての期待も高い機体でしたが守るべきXB-70が当時のミサイル至上主義派との激闘に敗れたため共倒れとなった幻の有人ウエッポンシステム(GOR-114:Oct.6 1955)でした。
開発時期・メーカーが重複することもあってVALKYLIEで開発された耐熱ハニカム外皮やGE製YJ93-GE-3ハイパワーエンジン等の技術要素を使いながら、XF-103用として別途すでに開発が進んでいた最新アビオニクスや搭載兵装(AIM47を3発内臓)とし、そのため機体開発に技術的な問題点はなくそのままキャンセルされなければ比較的容易に実現する可能性が高かった機体です。

しかしながら同じ用途機として期待の高かったカナダのAVORO・ARROWキャンセルの半年後、このXF-108も公式にキャンセルされてしまいます。

キットは1958年に公開されたモックアアップを基にしたCollect Air Modelsの1/48スケールレジンキット(同社のキットは珍しい機体をマルチマテリアルで細部を精密再現したラインナップでコレクターアイテムとしての価値は高いですが、価格も高いのが難点)。
計画当初のデルタカナードのついたモデルNA-236もいいのですが、このデザインのキットは当時ITCから発売されていました。 空対空ミサイルボマーク(ミサイル展示室にてキット公開中)のようにランチャーにマウントされ、アラート時はランチャーを垂直起立させてロケットのようにゼロ発進する姿はまさにレイピアです。

まあこのキットは機体よりもランチャーの出来が良かったようで。
現在入手可能なキットとしては他に香港のAnigrand Craftwork社からリリースされている1/72スケールレジンキットと1/144のおまけキットもあります。

BAC TSR-2、AVRO F-105 ARROWそしてこのXF-108 RAPIERが一同に会した架空の航空ショー展示コーナーをこれら1/48スケールモデルで再現するのが老後の夢かな。

 

機体レジン、細部はホワイトメタルパーツ

 

 


LOCKHEED YF-12A    

1/72 Scale    Revell

最大速度マッハ3.2の迎撃機として量産前試作機3機が造られたYF-12A。

高度、速度記録をソ連から再び奪還する偉業を達成して卓越した高性能をしめしながらUSAFの念願はまたしてもついえ去ります。

この機体計画は現在日本でも封切られている映画「Bridge of Spies」のネタ、CIAのU-2スパイ機のソ連領土内での撃墜(1960.05.10)に遡ります。

CIAは当時急速に進歩したソ連防空能力下ではもはやU-2は安全・確実にスパイ活動(偵察写真撮影)できる機体ではないと後継のスパイ機の開発をU-2の製造元であるロッキードのスカンクワークスに要請します。この機体には高高度での超音速飛行性能とRCS:レーダー反射面積の極小化(ステルス性能)が必須とされ、またその存在自体も秘中の秘とされた機体、Code Name Oxcart A-12でした。

一方でUSAF(空軍)は先のXF-108レイピアを予算不足で潰され、またCIAが高性能の偵察機を先行運用しているのを苦々しく思っており、同じくスカンクワークスに新たな超音速機の開発を指示します。スカンクワークスは水素エンジン搭載の超大機CL-400の開発を進めますが、数々の技術的難点に加えて配備運用においても実用性に欠けると開発は中止に。

そこでスカンクワークスの統括者、稀代の航空技術者でありまた自社の機体売り込み術にたけた国防省担当セールスマンとも言われたケリー・ジョンソン(Clarence Leonard Kelly Johnson)は先行していたA-12計画を使い、この空軍からの要請に対してYF-12の元となるAF-12計画をぶち上げます。

早期に悲願の高性能インターセプター・ファイターのみならず本来空軍が運用すべきと考えていた超音速偵察機(これがSR-71です)を手中にできると踏んだ空軍はCIAのA-12計画に乗り、空軍予算を付けることを決めます。

とはいえ当時のスカンクワークス工場内はCIAエリアと空軍エリアに二分され、特にA-12の量産が開始されていたCIAエリアへの立ち入りは空軍関係者さえも完全に制限されていたとも言われています。

写真は販売初期の古いキットですが写真にYF-12A(A-11)と記載されていますがこれには以下余談がありました。

先行していたA-12の試験飛行はあのCAIのエリア51で行われていましたがそれでもその存在を完全に隠し続けて運用試験飛行を続けることは難しく、また新機軸満載の開発中機体ゆえに墜落事故を含む重大な事故を何度か起こしたことで、時の大統領ジョンソンはその存在を公表することを決断します。

しかし国際社会に対して世界一のスパイ機を保有していると公表することはなんとしても避けたかった大統領に対してA-11という架空の名称を使う事をケリー・ジョンソンが入れ知恵し、その時に公表した写真もインターセプターのYF-12Aが映されたもので飛行場所もわからないようにフルレタッチで風景を変更したものでした。

これがキット箱絵にYF-12(A-11)と記載されている理由です。

実機はXF-103、XF-108用に開発された長距離セミアクティブ空対空ミサイルのファルコンAIM47を2発づつ機体中央部の左右のチェイン(ヒレ部)に格納し、機首にはAN/ASG18大型レーダーシステムを搭載するために先端左右のチェイン部を切りとって大型のレドームに再設計されています。

最大速度マッハ3.2で探知された敵国爆撃機の要撃に向かうための機動性と機体の横方向安定性を稼ぐために機体後部下面に折り畳み式の第3の垂直尾翼を新設しているのもオリジナルA-12との差です。

USAFが手にしたA-12ファミリーの最終形であるモンスター偵察機SR-71は世界最高の偵察機として永らく活躍しましたが(キットも幾つかありますので後日取り挙げます)このYF-12Aの方は量産には至らずキャンセルされてしまいます。

YF-12AによるAIM47の発射試験も予定通りの好成績を示し、空軍は正式採用を真剣に考えていましたが当時マクナマラ国防長官による対費用効果論による軍事費削減の大ナタが振り下ろされはじめ、今回もまた予算獲得が困難と判断されたわけです。

その最大の理由の一つがスクランブル発進には全く不向きな機体であったことでしょう。

A-12の機体は外板にチタニウム(ほとんどがソ連から偽装購入したものでした)を多用して高速飛行時に発生する空気の断熱圧縮熱に耐える設計でした。

マッハ3オーバーで飛行する機体にかかる高熱とその伝播による機体各部の熱膨張を受け流す為に外板は超音速飛行時にその機体外板の熱膨張によって隙間がピタリと埋まる様なスカスカのハリボテ構造(少し大げさかな)となっていました。

一方その大きなデルタ主翼のなかには当然インテグラルタンクが仕込まれており搭載した燃料をバカ食いするJ-58ターボファンエンジン(一部ラムエンジンとして作動)に対応していました。

このタンクには弾性素材によるシーリングが施されていましたがそれでも地上駐機時から飛行初期段階まではタンク内の燃料が機外に漏れ続けていました。

SR-71の飛行時写真にもこの燃料が翼外板つなぎ目部分から後方に幾つもの筋を描いているものがあります。

このような機体事情下での安全性と飛行時の機体にかかる高温にも耐えうる必要からジェット燃料は高引火点で揮発性の低いJP-7が使われました。このJP-7は室温ではワックスの様な高粘度粘調体燃料で機体タンクに移送注入するには専用の燃料加熱車を通して燃料の粘度を下げながらポンプ車で圧入する必要があり、この作業には数時間かかります。

またパイロットが身に着けるフライトスーツはまさに宇宙服そのもので、宇宙服よりも面倒な耐減圧/高Gスーツ内への窒素加圧システムが付加されていました。スーツ装着後に外部からゆっくりと窒素を圧入してパイロットの体を締め付けるわけです。

時間をかけた綿密なフライトプランの下で運用されるA-12/SR-71の偵察飛行ならばこれは十分に受容範囲ですが、敵国/不明機接近のアラートがかけられたら数分以内で発進すべきインターセプターにはなんともはや...........。

空中給油による長時間空中待機という方法も検討されたようですがあまりに経費が掛かり過ぎる案であったことは自明です。

米国のSF映画に極秘に軍で研究開発された究極の少年サイボーグが計画発覚を恐れた軍による計画中止と破壊命令から彼を守るべく研究者たちが彼を逃がすストーリーのものがありましたが、少年が近くの空軍基地のハンガーに駐機されていたSR-71を乗っ取り、ヘルメット一つかぶってエンジン始動ボタン一押しで発進、追ってから逃げるシーンがありましたがこれこそ本来空軍が夢に描いていたシチュエーションだったのでしょう。

最後に余談ですがYF-12Cという機体が一機存在しますがこれは着陸事故で大破したYF-12A一号機の機体後部を利用して当時保管中だったSR-71の静的負荷試験機の前部と合体させたものです。2号機、3号機とともにNASAに貸与され数々の試験飛行をしている写真がありますがSR-71にそっくりなのはそのためです。

 

ついつい力が入り長文になりましたがこのYF-12A大好きです。

 

キット内容

 

 

昔製作したYF-12A:ファルコンぶら下げてます


LOCKHEED YF-12A Limited Edition

1/72 Scale  ITALERI

こちらはちょっと前にイタレリからリリースされたYF-12Aです。

Box絵は機体塗装が全面電波吸収塗料によるオールブラックの後期仕様ではなく、A-12製造途中からピックアップされてYF-12Aとして仕上げられた初期のA-12と同じブラック&シルバーの2色仕様。ジョンソン大統領が公表した写真の機体塗装がこれでした。

大統領の存在公表で辻褄合わせに慌ててエリア51からエドワーズ空軍基地に駆け付けるといった図でしょうか(笑)

このキット、(多分再生産ながら)限定生産版とされています。

 

 

LOCKHEED SR71 A/B   BlackBird

1/48 Scale  TAMIYA

このマッハ3級の偵察機が全期退役してからもう15年以上の月日がたちました(1999年退役)。

約30機足らずの配備の中、数機が沖縄の嘉手納基地に常駐していたのこともあり特に日本の航空ファンには馴染み深い機体でした。

退役機はモスポ-ル保管されていましたが情報公開解除とともに米国各地に展示用として払い下げられ公開展示されています。

SF映画「I am Legend」でウィル・スミス演じる主人公がNYのイントレピッド海洋・航空博物館(空母イントレピッドを改造した浮かぶ博物館)のデッキに展示されているSR-71の翼の上(載っちゃダメだっての、ベコベコなんだから)からゴルフの打ちっぱなしをしている図があったのを覚えておられる方もいるでしょう。

映画「National Treasure」にもでていたような。

 

さて話を戻して、この機体は米国中央情報局CIAが資金提供元となりHi-Hi-Hi偵察ミッション用マッハ3級偵察機としてロッキ-ドのスカンクワ-クで極秘裏に開発された単座のA-12という機体がそのルーツという話はYF-12Aのコーナーで述べましたがこのA-12(といってもぱっと見にはほとんどSR-71と見分けが付かない)のキットが世に出たかどうかは承知していません。まあないでしょうね。

このTAMIYAの古いSR-71の1/48スケールの大型キットは複座型であった通常のA型と珍しい二段式コクピットをもった飛行教習用のB型が選択再現できるレアなキットです。

 

 

SR-71A BLACKBIRD/DTD-21B

1/72 Scale  Hasegawa

超音速親子偵察機M21(A-12)/D21のセットとして比較的最近にリリースされたもので発売当時には空中発射ドローンD-21の初キット(だったと.......)として注目を集めました。

ただキットタイトルに大きな過ちがある様です(意図的かな....)。

SR-71Aはこのドローンを背負って飛行したことは一回もありませんでした。

比較的近年、その存在が明らかになったM-21/D-21マザーグース超音速親子偵察機をSR-71Aの背中にD-21無人偵察ドローンを背負わせ空中発進させたと思われている様ですが、その筋の書籍等にもこのM-21はもともと単座型であったA-12を複座型に改修したA-12Bの発展型として分類されています。

 

開発がスタートした(当時の社内名称Q-21)D-21超音速ドローンは先のパワーズ事件(ソ連領空内で撃墜されたU-2のパイロットの名前をとって)の後始末で懲りた時の大統領アイゼンハワーがソ連領空上での有人偵察飛行の禁止を公表したためCIAがA-12を開発中のスカンクワークスに追加依頼した超音速偵察ドローンでした。

エンジンにはRA-43MAラムジェット一基を搭載。複座型のA-12(M-21)マザーグースの背中に載せてマッハ3まで加速した時点でD-21のラムジェットに点火・切り離してD-21単独偵察飛行へ移行。撮った写真フィルムを収めた撮影モジュールを投機させ後に空中または海上で回収するというミッションでした。

マッハ3オーバーで飛行中のM-21母機からこのD-21を安全に切り離しするのは至難の業と関係者やパイロットからも不安視されていましたが4回目の発射試験でとうとう親子両機の接触事故が発生。親子ともどもコントロール不能となり墜落。

パイロット2名は辛うじて緊急脱出したものの1名は機体脱出時に破損したフライトスーツ内で海面着水後に溺死してしまいます。

ロッキードはこの方式の中止を決め、並行して空軍と折衝中であったD-21に強大な補助ロケットを装備した改良型D-21BをB-52Hの主翼内側パイロンに吊下げて発射する方式に変更して試験を続けます。実際に中国本土の偵察も実施されましたが芳しい成果は上げられなかったようです(フィルムカプセル回収に全て失敗)。

 

発射母機のM-21マザーグースはA-12の量産最後の2機が当てられ、ブラックバードと同じ全面黒色の機体(二号機)と初期のチタン外板をそのままにしたチタニウムグース仕様(一号機)の2種が写真等で確認されています。SR-71Aもほぼ同時期に初飛行を行っていますのでこんな混同が起こったのかもしれません。

またドローンのGTB-21Bのコードネームも確かに全機退役モスポール保管中の名称として使われましたが後日正式にD-21/D-21Bに変更されています。

このハセガワのキット、箱絵は問題ないとしてもSR-71とD-21Bという組合せについてはちょっと天下のハセガワらしくありませんね。

 

 

LOCKHEED SR-71A BLACKBIRD

1/72 Scale      HASEGAWA

SR-71AがBlackbirdと呼ばれる所以は皆さんご存じのとおり機体全面が真っ黒だからですが機体構造の90%強はチタン合金製で開発当初はこのチタン合金色の機体でした。この黒塗装はレーダー吸収能を持たせた耐熱特殊塗料(アイアンボール)の色で初期は機首と主翼前面等のみの塗装にとどまっていました。ブラックバードは最初の開発機A-12からステルス機のはしりでもあったわけです。

LOCKHEED、GD、Northrop等名だたる航空各社のステルス技術への取り組みはこのA-12計画と前後してスタートしたと言われています。

マッハ3以上の巡航速度をもつ航空機の構造外皮材には空力発生熱(機体と当たる局部空気の断熱圧縮によって空気自体が高温化する)による高温に耐えられること(耐熱性)と軽量性が求められます。

あの超音速爆撃機XB-70ではステンレスハニカムパネルを開発・採用し、A12/SR-71シリーズはチタンを採用。マッハ6プラスのX-15はインコネルXというさらに高価な特殊合金を採用しました。

ステンレスハニカムの製造加工も当初受難続きでしたが、これに負けず劣らずチタンの加工も難しく、当初は製造部品のほとんどが欠陥品であったといい、この時の試練が後のLockheedにとってはチタン特生の把握とともに徹底的な品質管理手法の確立という重要な技術的アドバンテージを得ることになったと言われています。

またこれはディスカバリーチャンネルで仕込んだネタですが当時チタンはソ連が主要産出地でCIAはダミー会社を設立してこのA-12製造用チタンを調達したという嘘のようなお話も。

そんなブラックバードSR-71最後のキットはハセガワのSR-71A 1/72スケールで嘉手納に展開していた9SRW(第9戦略偵察航空隊)特製刺繍ワッペンがおまけについているものです。

このキットは他社と異なり機体はエンジンナセルも含め上下2枚の一発抜きす。

 

記憶ではこの他にオオタキかどこかの1/144の小型キット(機体下面のAIM47格納庫のドアがクリアーパーツになっていて内臓ミサイル(うーんサイドワインダーに見える?)が2基内蔵されているのを見られるという粋なアイデアの製品でした。

まあSR-71のキットは海外メーカーでも数々出ていますから...........

 

 

SR-75

PENETRATOR/Brilliant Buzzard   

1/72 Scale   TESTORS

Aviation Week and Space Technology の紙上でその開発計画が言及されたSR-75 Penetorator/RX-7 Thunder Dart親子超音速機のキットです。

極超音速機極秘開発プロジェクトのAURORAとみなされたときもありました(計画上ではその初期に位置する機体だった可能性もあります)が現在ではAURORAはSR-91のコードネームで呼ばれることが多くなりました。このAURORAの真偽も論争の的ですがこちらの方が現実味は高いかもしれません。実際に飛行している機体やその特徴的なパルスエンジン排気の白煙の目撃情報や映像も幾つか公表されてますし。

 

さてこの親子超音速機M-21/D21の親子偵察機の失敗に懲りていなかったのか、はたまたリベンジなのか子機は有人超音速機に発展しています。

この少し前にはXB-70の背中からXR-7に形状の似た改良型X-15を発進させる計画もありました。

親機のこのSR-75はSR-71A(M-21)の2倍、XB-70超音速爆撃機とほぼ同じ大きさに拡大されており発進母機としての大きさは十分確保されているようです。

搭乗員は子機のリリースコントロール要員の1名が増えて3名に。子機にはこのキットのステルス偵察機仕様のXR-7(一時期この母機とセット販売もされていました)やNASAのXシリーズのスペースプレーン発射母機としての活用も考えられていたようで、キットの箱絵の下の方に小さな親子飛行時の姿が描かれていますね。

はたしてフェイクか実機試作まで行ったのかは今でも闇の中。

 

このキット、箱絵に「組立時に追加で購入するものは無い」と言い切っているように、接着剤、塗料と塗料パレット、筆類そしてオーバーコートのスプレー缶までセットになっています。

別売XR-7の方を先に購入し、後にこのSR-71別売がリリースされ、追加で購入しました。

このXR-7は箱絵(相当パースがきつい)よりもスリムロングな機体です。

箱絵の左上後方を飛んでいる小さな機体の方がいい感じに描かれているかな?

 

Anigrand Claftworksからもレジンキットがまだ販売中です。

 

SR-75 Penetoratorのキット内容

 

 

セットとして販売されていたこともあるXR-7



CCV(機体制御能力向上形態機)

Control Configured Vejicleとは航空機の動的安定性を敢えて過敏に設定し、当時急速に進歩をし始めた各種機体状況センサー、コンピューターと機体制御プログラムにフライバイワイヤーといったシステムを統合し、その機体制御を自動的に補助させ従来の飛行運動性能とは全く異なる次元を目指す事を目的とした試験プログラムでした。

現代の戦闘機に必須とされる高機動性能にも大きく寄与する研究でしたが当時は機動性の向上よりも異次元的な機体姿勢の制御を目指したものでした。

 

Deneral Dynamics YF- CCV

1/72 Scale          Hasegawa

CCV研究機としては1最初の機体となる米国空軍の研究機。

当時最新鋭機だった高機動戦闘機F-16をベースに機体下部のインテーク横斜めに一対のカナードを付け1974年に初飛行しています。

この形態は後の日本・米国共同開発のF-2の初期形態にも影響を与えましたがF-2ではこのカナードは不要と判断され搭載されませんでした。

ただ当時CCVにはこのようなカナードが必須なんだと妙に納得させる強烈な印象を与えた機体です。

 

MITSUBISHI  T-2 CCV

1/72 Scale    Hasegawa

日本でもCCVの研究は早くから進められておりT-2高等練習機103号機を用いて1978年に初飛行に成功しています。この機体には左右のインテーク直後と機体下面に3枚のカナードを装備していました。

この機体の開発経験と研究成果は後のF-2開発の重要なキーとなったことは有名な話です。米国のごり押しで日本自主開発から日米共同開発に変更された航空自衛隊向けF-2戦闘機に対して米国はデジタル飛行制御技術(デジタルフライバイワイヤーシステムとコントロールプログラム)の提供を拒否。日本はこのT-2CCVで培った自前の技術の流用でなんとかこの難関を乗り越えたという苦い経験が......。

現在試験飛行中の高機動ステルス研究機X-2心神もこう言った面から自前の革新技術を取得し、機体自主開発という道だけでなく、最新鋭機の国際共同開発という道においても優位な立場に立つための切り札を数多く持っておくという側面があるのですね。

話をCCV機に戻し、

1980年にドイツ空軍もF-104を流用した研究機を造っています。この機体はF-104のT字型の垂直・水平尾翼を寸詰まりにしてキャノピー直後にもう一つ取り付けた異様な形状の機体でしたが、この機体により得られた研究成果もまたユーロファイター等の高機動戦闘機の開発に大きく役立ったと言われています。この機体もハセガワから出ていました。

 

F-15 STOL/MTD ACTIVE 

1/144 Scale          TOMY

復座型F-15B初号機をベースに当初は短距離離着陸性能向上を目指して試作されたS/MTD。

CCVが主目的ではありませんでしたがこの機体にはF-15初のフライバイワイヤ(FBW)システムを搭載。飛行制御コンピューターや制御プログラムも一新しています。

機体形状の特徴としてはエアインテーク横に上反角を付けた一対の大型カナード(F-18の水平尾翼を流用)を取付け、その後エンジンノズルを通常型から2次元推力偏向型に付け替えて各種の高機動飛行の研究に力点を移していきました。初飛行は1988年9月。

空軍からNASAに移管されてからACTIVEの名称を与えられ、研究改良が続けられてきました。最終的には三次元推力偏向式のエンジン/ノズルを搭載してその成果はF-22の開発にも役立てられたと言われています。

モデルはNASAで研究が続けられたACTIVEでノズルも二次元型から三次元推力変更方式に変更された後の機体、塗装はデモンストレーター仕様です。

 技Mixシリーズですから塗装はほとんど実施済みです。

エースコンバットではこの機体を目一杯アップグレードして艦隊防空戦に望み味方艦隊上空で向かい来る敵機を迎撃、打ち落とす.........うーん、快感。

それでもKP-50やF-22にはかなわないんだな....これが(笑)。

 


双胴機

双胴機:Twin Boom Plane とは字の如く胴体が2つある航空機のことを指しますが大別すると本当の胴体は1つでその胴体(キャビンやカーゴルーム)を挟む形態でブーム状の胴体(通常はエンジン/プロペラを搭載)が翼から後部に伸びているものと、同一かまたは異なる二機の機体を対称的に並列に繋げたものでこれは本当に胴体が2つとなります。
前者はプッシュ式の推進エンジンを搭載する場合や輸送機の一形態として用いられることが多く、輸送機の場合には胴体後部に大型のカードドアを設けることが出来るので貨物の自走積載等積み下ろしに有利となるからです。

この手の輸送機としてはフランスNord Noratlas:ノール ノラトラ、米国のFairchaild C-82 Pocket:フェアチャイルド パケットやその発展型C-119 Flying Boxcar:フライングボックスカーが有名です。

一方、後者は機体強度を保ちながら簡単に燃料、兵装等の積載量とともに航続距離を増大させる一策として同じ機体を2つくっつけて飛ばしてしまえといった一見、安直なアイデアに見えますが技術的にも難しい問題も。それ故にどちらかと言うと実機の数も少なく珍機の部類になってしまいます。

  

Heinkel HE 111 Z-1  ZWILLING 

1/72 Scale   ITALERI

最初は珍機の独ツイン機。

巨人グライダーGigant:ギガントの牽引用としてレシプロ双発のハインケルHe-111を二機くっつけ、おまけに中間翼にご丁寧にエンジンを一基増発して五発としたHe111 Z-1 Zwillingです。
キットのオリジナルは相当古いものですがこれは日本向けにパッケージを変えて少し前に再販されたものです。

 

 

 

 

 

 

North American TWIN MUSTANG F-82  

1/72 Scale   SUZUSHO

数々の輝かしい戦績を残した傑作レシプロ戦闘機の1つに数えられるノースアメリカンP-51 Mustang:ムスタングを二機接合したP/F-82 TwinMustang。これは太平洋戦争末期、日本本土までの長距離進空のためパイロットを二名とし、交代で操縦することを目的としてたものでした。 ジェット機が活躍するようになる朝鮮戦争後まで活躍した機体です。
左右のプロペラはツインローターヘリコプターのように両者の回転トルクを打ち消すように互いに逆回転するように設定され、片側のみにギアを追加してあります。
キットは大分前に鈴商からリリースされた1/72スケールのキットです。

 

 

Northrop P-61 Black Widow

1/72 Scale        mpc

米陸軍向けにノースロップが開発したP-61夜間戦闘機Black Widow:ブラックウィドウ。

キットはスターウォーズや車のキットで有名な米国MPCの1/72スケールものです。

最近ドラゴンからも新キットが出ています。
ちなみに愛称のBlack Widowとは蜘蛛 (黒後家蜘蛛)を意味しますがこれはこの機体に離着陸時の低速性能においてトリーッキーなところがあり、事故でパイロットが多数犠牲になった事が由来しており「後家さん作りの機体」と言う意味で付けられたとキットの組立説明書の機体解説に記載されています(この話は有名なのですが一説では後付との説も)。

 

 

LOCKHEED P-38J LIGHTNING

1/72 Scale     Hasegawa

同様なコンセプトの機体ながらこちらの方が有名かもしれないロッキードのP-38 Lightning:ライトニング。

この機体はあの「星の王子さま」を書いたサン・テクジュベリが最後に偵察飛行に飛び立ち、そのまま行方不明になった機体F-5です。

当時は不明に至る情報が皆無であったためどこかに島での生存説や星の王子の世界にいったとか色々言われていたようですが、近年になってこの機体と思われる機体を撃墜したという独空軍のパイロットの証言(日記)から撃墜地点と思われる海域海底を探索したところ搭乗機と思われる機体が見つかったというニュースが世界を駆け巡ったのももう古い話となってしまいました。